小説

『M』浴衣なべ(『桃太郎』)

「じゃあ早速始めよう」
 シュウに促されて私は手術台の上に寝そべった。このあと私はお腹の中に『M』を移され、『M』を生かすためだけのカプセルに改造されるのだ。手足もなくなり自分で歩くこともできない、皮膚を硬質化させた球体の人体カプセルになるのだという。白い肌と血液の混じった、意識があるだけのピンク色の球体に。
「ねえシュウ。最後に言い残したいことがあるの」
「言い残すこと?」
 全身麻酔の注射器を持っていたシュウは怪訝な表情を浮かべた。時間がないのだから早くしろ、という感情が体中から溢れている。
「普通逆だろ。別にエミリーは死ぬわけじゃない。『M』と共に地球に降りるんだ。一方、宇宙船に残る僕は間違いなく死ぬことになるだろう。それなのに僕に言い残す? これから死ぬ人間にそんなことしたって意味がないだろ?」
 シュウは大きな溜息を一つついた。それは今まで何度も見てきた、シュウが本当に呆れたときにする仕草だ。そして、私はその態度をとられるとついつい反抗的になってしまうのだが、今回だけは素直に言葉を出すことができた。
「シュウ、もっと一緒にいたかったよ」
 言葉よりも先に目から涙が落ちていた。人体カプセルに改造される私はもうすぐ目がなくなってしまう。だったら、泣けるうちに泣いておくのも悪くないだろう。
「『M』のためだったら改造されるのも怖くない。でもシュウ。シュウと離れ離れになるのは、どうしようもなく寂しいよ」
私は包み隠さず自分の素直な気持ちをシュウに伝えた。
「そうか」
 シュウは怒っているような悲しんでいるような、今まで見せたことのない表情を浮かべた。
 ねえ、あなたは今なにを思っているの? 私がなにか言葉をかけることであなたの不安は少しでも軽くなる?
 そう話しかけようとした瞬間、左腕に鋭い痛みを感じた。
「エミリーはこれから『M』と一緒に長い時間を過ごすことになるだろう。その長い時間の間、ちょっとでも僕のことを思いだしてもらえれば、それだけで僕はすごく嬉しいよ」
 シュウの言葉を聞き終えた瞬間、私は意識を失った。
 次に私が意識を取り戻したとき、既に私は人間ではなくなっていた。手も足もなく、目も耳も鼻もない。なにもすることができないし、なにも発することができない。そこにいるだけの、ただのものになっていた。
 辛うじて触覚だけは残っていたので周囲の状況はなんとなく分かった。全身が妙な浮遊感に包まれ外気がやたら冷たい。おそらく私は宇宙空間を漂っているのだろう。新しく得た私の外皮は、宇宙空間でも耐えられるようあらゆる金属よりも固く、温度の変化にも強くなっていた。
私の体の中は空洞で特殊な培養液で満たされており、その中心に『M』がいた。『M』はまだ小さな受精卵のままだけど、やがて培養液の濃度が薄まると共に細胞分裂を始めるだろう。植物の細胞も埋め込まれている私は、太陽光を受けることで『M』が生きていくためのエネルギーと酸素を生み出せるようになっていた。それを培養液に溶かすことで、『M』は生きるために必要な栄養を摂取していた。自分が『M』を守る卵の殻や白身のような存在になれたことに、私は妙な喜びを感じていた。これが母性というものだろうか? なんだかちょっと違うような気がしたけど、とにかく私は嬉しかった。

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