小説

『M』浴衣なべ(『桃太郎』)

「時間だ、そろそろ行こうよ」
 私は左腕につけている腕時計を見てシュウに話しかけた。
「うん?」
 私が声を掛けるとシュウは本に栞を挟むことなく壁にかけてある時計を見た。
「まだ早いよエミリー。ひょっとして君の腕時計、まだ壊れたままなんじゃないのか」
「あっ」
 私は左腕につけているデジタル腕時計の数字を見た。日付も時刻も、少しずれている。
 以前、シュウに腕時計が壊れていることを注意され交換するよう言われていたのを忘れてしまっていた。
「まったく、君は本当にズボラだなあ」
 シュウは再び大きな溜息をついた。私たちは生まれたときからずっと一緒にいるから分かるが、シュウのこの動作は本当に呆れているときの動きだ。そして、シュウにこの態度をとられると、私が感情的になってしまい素直になれないのもお決まりだった。
「うるさいなあ。ちょうど換えようと思ってたところなんだよ」
 私は頬を膨らませてシュウを睨みつけてみたけれど、シュウは相手にしなかった。
「はいはい分かっているよ。今度、使いやすそうなのを用意しておくから」
 私の相手をするのは時間の無駄だと判断したのかシュウはそれきり話を打ち切ってしまった。
やがて時間になると、私たちは研究室へ移動した。
「シュウは今日なにをするの?」
「三毛猫の雄について調べようと思う」
 三毛猫の雄は遺伝異常でしか生まれてこない非常に珍しい存在だ。遺伝異常の産物なので生殖機能を持たないことがほとんどなのだが、本当にごく稀に、生殖機能を備えた雄も存在していたという。そういう猫は高値で取引されていたらしい。
 なるほど、三毛猫の遺伝異常の謎が解ければ私たちの研究は前進するかもしれない。さすがシュウだ。知識量は私と同じくらいのはずなのに、ものの考え方が私とは全然違う。
 私はシュウの考えに感心すると、研究室の中央に設置されている一際大きい培養カプセルの前に移動した。
「もう少しの我慢だよ。私とシュウが、きっとあなたを外に出してあげるからね」
 培養液の中にいる『M』は、ただただ静かに漂っていた。
 私とシュウは生まれてからこの宇宙船で生活をしている。宇宙船はとても巨大なのだが今では私とシュウの二人しかいない。昔はここでもっとたくさんの人たちが生活していたと聞くけれど、どうして私たちしかいないのか。それは、人類が赤ちゃんを育てられなくなってしまったからだ。

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