小説

『M』浴衣なべ(『桃太郎』)

 昔、人類がまだ地球上にいたころ、地上は深刻な環境汚染により生物が住めなくなってしまった。急遽、地球から出て行かなくてはいけなくなった人類は、仕方なく宇宙船で生活し始めた。幸い、そのころの人類は優れた科学力を持っていたので、新しく住む星を探す必要はなかった。しかし、環境汚染の影響を受けていたせいで子供を生む能力が弱まり、受精率が低下していた。
 人類は人工授精により個体数を保とうとしたけれど上手くいかず緩やかに数を減らし続けた。いよいよ絶滅という二文字がちらつくと、オリジナルの人たちはクローンによる繁殖を試みた。
 これが私とシュウの数世代前の話になるのだが、結局それも上手くいかず、人類は私たち二人しかいなくなってしまったのだ。
 いや、私たち以外にも人類はいた。それが研究室の真ん中にいる『M』だ。『M』は私やシュウのようなクローンと違い、人類による受精卵だ。このまま細胞分裂を始め赤ちゃんになっても死んでしまう可能性の高い『M』は、私たちが作られるずっと前からカプセルの中で成長を止められている。私とシュウが研究しているのは、『M』が無事生まれてくる手段であり、その方法が解明され絶対に安全だという研究結果が出るまで『M』の時は止められたままだ。
「ねえシュウ。私たちもっと頑張らなくちゃいけないんじゃないのかな。じゃないと『M』はいつまで経っても外に出てこれないよ」
 もし『M』が赤ちゃんになることができてカプセルから出てこれたら、どんなふうに泣いて、どんなふうに笑うのだろう。私は一日でも早く『M』をカプセルから出してあげたかった。
「考え過ぎだよ」
 シュウはキーボードをリズミカルに叩きながら返事した。
「人間の胎児は受精してから出産までのおよそ十カ月という時間を母親の胎内で過ごす。でもそれは、本来人類が数千年かけて進化した時間をギュッと縮めたものなんだ。だから今さら数年遅れたところで『M』も気にしないよ」
「……ほう」
 シュウの話を聞いて私は変な声を出してしまった。無茶苦茶な理論だけど、「そうかもしれないな」と思わせる妙な説得力があった。
「それに、僕たちの生まれる前からずっと研究は行われてきた。必ず『M』を育てる方法はあるよ」
「そうだね」
 私はシュウの言葉と共に、研究室に保管されている膨大な量の研究データを信じた。
 出産率低下による衰退がはじまった何百年も前から、人類は元気な赤ちゃんを産むための様々な研究を続けてきた。カンガルーやコアラなど有袋類の育成方法から、背中の一部分をスポンジ化させそこで卵を育てる奇妙なカエルの生態、はたまた生物とは異なる植物のおしべとめしべの受粉を参考にするなどその研究範囲は多岐にわたった。

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