小説

『潮の流れに杭を打て』赤沼裕司(『浦島太郎』)

 最初の仕事、健康シューズの仕事を進めている最中のこと、休憩のコーヒーを飲みながら、一度だけ亀山に聞かれたことがある。

「ウラちゃん、自分の作品ってないの?」

 もちろん最初の打合せの時に、僕の過去の仕事は亀山に見せている。ただそれは、当時のバイト先でした仕事の断片であって、他の誰かの仕事で、「僕が作りたくて作った僕の作品」、そういうものではなかった。

「そのうちやんなきゃとは…思ってるんだけどね。」

 僕はたぶん亀山の目を見ずにそう答えた。亀山はコーヒーを飲みながら少しの間僕の顔を見て、それ以上は踏み込まなかった。

 社長にも、乙姫にも、やはり一度、同じ質問をされた。自分の作品はないのか。自主制作とかそういうやつ。僕はやはり同じように答えた。「やらなければと思っている」と。

 そういえば社長と乙姫も加えて、4人で飲みに言った時も、彼らはそれぞれ、自分の夢を語った。普段クールな乙姫でさえ、「振り返って自分が反省することのない、心から楽しかったと思えるイベントを、百発百中やりたい」そういう主旨の発言をして、社長は乙姫の肩を軽く叩きながら水割りをぐっと飲み干した。

 その時も、彼らは僕に夢を聞かなかった。

 僕がこの度ドラゴン社を辞する、ここまでの約7年間、彼らと僕の関係は、基本的には変わらなかった。僕はいつまでたっても彼らのゲストであり、ファミリーではなかった。ヘルプの形で出会い、最後までその流れの中にあったように思う。
 彼らがそう思っていたのか、それとも僕の方なのか。客観的に見るのは僕には難しいが、たぶん7:3くらいで僕の方が意識していたのだろう。
 僕にとって彼らが、ドラゴンエージェンシーが、業界が、ひいては映像をつくることが、目下の対象ではあれど、ホームではない。亀山の言葉を借りていえば「その道の先に、自分のゴールはない。」そうどこかで思いながらも、彼らのおかげで居心地のいい環境に身を預けたまま、7年が経過した。

 僕と彼らのどちらが、お互いの間に横たわる深い淵の存在を先に意識し始めたのか、今となってはわからないし、僕からは恐ろしくて彼らに聞けない。今となってはただただ、自分の道を照らせなかったことが悔やまれる。
 目下の状況対応だけに視野を閉ざし、その道の延長線上に自分のゴールが、夢がある、その道をもっと真摯に見つけ出そうとしなかったことが。

 一度だけ、乙姫と2人で飲みに行ったことがある。

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