小説

『潮の流れに杭を打て』赤沼裕司(『浦島太郎』)

 なりゆきに任せることが、最良の手段だと思っていた。自分から何かに手を伸ばすのではなく、来る波、乗る波を選択していくこと。

 亀山からの頼みを断らなかったのも、そんな気持ちからだったと思う。たまたま僕が数年間、映像を編集するバイトをしていて、友人のよくわからないイベントで会った亀山に、今やっている仕事で映像が必要なのだが、上司のOKが出ずに困っている、という話をされ、「ちょっと相談乗ってよ」と言われた時、僕は悪い波ではないだろうと思った。
 後日、彼のもとに出かけていった。亀山が勤めているのはイベント制作を行う会社で、彼が担当する健康シューズの販売会社の、表彰イベントで使う映像を作ってほしいというオーダーだった。
 ドラゴンエージェンシーなるその会社に僕が初めて足を踏み入れたのは2011年のこと。2度ほど単発の仕事をした後、入社の運びとなったのはその翌年のことで、今が2019年だからもう7年目を迎える。
 のちに乃木坂の高級な感じの分譲マンションに引っ越したのだが、当時のドラゴン社はまだ練馬の雑居ビルの一室で、ワンルームを区切って作業スペースと打合せスペースにして使っているような感じだった。
 まだ春を迎える前の2月のことだったが、直接亀山に迎えられて打合せスペースに通され、パイプイスで待っていると、奥でお茶飲料をチンする音が聴こえてくる。そんな感じだった。

 当時のドラゴンエージェンシーは、五十歳手前くらいの、ティアドロップのサングラスがよく似合う長身大柄な社長と、乙姫、それに亀山と、バイトのデザイナー女子の4名。その人数で仕事を回しているわけではなく、デザイナー女子以外のそれぞれが、イベントプロデューサーとして他のプロダクションに外注して日々の仕事を回転させていた。
 亀山は僕と同い年で、当時28歳。新卒で入ったドラゴンエージェンシーで約5年、社長と乙姫に付いて回って、先日ようやく独り立ちを許された。
 外注スタッフ陣とは5年で勝手知ったる仲を築いたのだったが、社長が昔から付き合っているスタッフ陣なので、たいがいは亀山より年上だった。年功序列のやりづらさと、いわゆるセンスの古さがあって、ひとまずデザインとか映像とか、そういうつくりもの系のスタッフだけでも、自分と同年代のスタッフで固めたい。そう亀山は言った。

 乙姫は僕らより8つ年上。当時36歳だった。本名は音尾田より子。オトオダだから乙姫かと思っていたのだが、後で聞いた話では少し違うらしい。
 当時流行っていた4人組イケメンボーカルグループ「ワッフルナイツ」のメンバーの1人、弟キャラ設定のファニ彦くんというのがいて、彼女は彼の大ファンだったらしい。
 しかしワフナイにハマって仕事に支障をきたすのを恐れた彼女は、年に一度だけ彼らのライブに行くことを自分に許し、それ以外では隠れたファンに徹していた。

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