小説

『潮の流れに杭を打て』赤沼裕司(『浦島太郎』)

 20代半ばの独身男の欲求が、オファーへのOKの中に潜んでいたのだと思う。今考えると体力に任せて強引に作りきった危うい映像だったが、なんとかその仕事をクリアし、僕は他ならぬ乙姫から、社員にならないかと誘われた。

 僕の立ち位置としては、デザイナー女子と同じ、技術部門の一員という感じだった。社長、乙姫、亀山の3人をつくりものでサポートするという形態だ。彼ら3人のコミュニケーション能力と実行力で、ドラゴンエージェンシーは顧客のリピート率が非常に高かった。イベントにおいて映像の使用頻度が高まっていることを肌で感じていた乙姫が、亀山をヘルプした僕を見て、ジョインさせてはどうかと社長に掛け合ったのだそうだ。
 フリーランスと名乗るフリーターだった僕は、いわゆるクリエイターの大多数とは違って、独立心はそれほどなかった。群れない一匹狼でいたいのではなく、過ごしやすい環境にいたい、というだけだった。単に集団に馴染めなかっただけだった。
 僕を入れて5人のこの環境は僕には過ごしやすかった。顧客との折衝は彼らが行い、僕は時折打合せや現場に呼ばれることはあっても、大多数は気心知れた人間とのやりとりだけだった。自分は映像の制作能力と技術情報にだけ注力していればいい。給料は高給というわけではなかったが、大きなことを考えなければ充分に暮らしていける額だった。

 もともとしていた編集のバイトをやめてドラゴンに入社して1年ほど、クビになるようなミスもせず日々を過ごしていたその頃、亀山と飲みに行ったある日のことが、今になって思い出される。
 月並みだけど、やっぱりデカい仕事がしたいんだよ。そう亀山は言った。
「デカいってどんな?」
「みんなが知ってるようなやつ。アカデミー賞とか、アップルの新製品発表とかさ、そういう誰もが知ってるイベントを仕切りたい。」
 それが彼の夢、だった。
「すっげーめちゃくちゃ遠くなのかもしれないけど、それって今の俺の道の、延長線上にあるはずじゃん。距離はめちゃくちゃ遠かったとしても、方向から違うわけじゃないでしょ。だからちょっとずつちょっとずつ、近づいてるって信じてさ、毎日やってる。」
 そう言った亀山は少し酔っていたのかもしれないが、しらふでもこれくらいのセリフは吐くやつだった。夢は隠しておくより語った方がカッコいいと思っているタイプの人間で(僕がこの業界に溶け込めないでいたのも、そういう人間にとってこそ最適な場所だからだと思うが)、時々鼻につくことこそあれ、彼のことは嫌いにはなれなかった。

「俺が今進んでる道の先に到達点がある。だからがんばれるんだよね。」

 あの日、亀山は自分の夢を語ったが、僕には聞かなかった。

 僕の夢はなんだろうか。なんだっただろうか。聞かれても困る…そんな雰囲気を、僕は出していたのかもしれない。

1 2 3 4 5 6 7