小説

『おちこちあいめ』曽水あゑ(『古事記』)

「……ああ、狸か」
 独り言ち、腹に手を遣り落ち着かせる。ただ、狸は幼児の手の形などしていないのだが。
 少し間を置き、穴に呼びかけた。
「心配せんでいい、取り上げたりせんよ」
 ずっと此処にいたのだろうか。
「大事にしてくれてたんやなあ。でも大きくなっとったら、あれで遊ぶのは退屈かなあ」
 また来ることがあれば孫の玩具でも置いてやろうか。

 山を下った辺りで車を停め、少量の塩と水を自身に振りかけた。
 来た道を振り返ると、何の変哲もない、どこにでもある風景が広がっている。
「境界か」
 案外、越えるのは簡単なのだ。

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