小説

『おちこちあいめ』曽水あゑ(『古事記』)

「あれは根も葉もない! 妙な話に仕立てられて困ったわ。第一、ナギオも私も嘘言ったつもりはなかったんですけどなあ」
 あの時は互いに違う部分を端折って伝えて、誤解を招いたのだ。結局ナミコさんのことは伏せた上で全て話し事なきを得たはずが、こんなことになるならナミコさんのことも話すべきだったのだろうか。
「それで話は戻りますけど、実はあの時泊めて貰った先がこの写真の人の家なんですわ。あいつがそこまで入れ込んでると知ってたら、私ももう少し……」
 勢い余って謝罪しようとした私を、
「あの時の光吉さん、背向けながらもごもご言って怪しかったって、今でもタキさんと話してね……あ、ええとそうそう、写真、これは違いますよお」
 と、モモコさんは軽やかに片手を振って止めた。
「この方がナミコさんと言って、ナギオさんの心中相手で亡くなった方なんですよ。私結婚してすぐにこの写真を見つけて、不安になって義母に確かめたんです。いない方相手に安心していいんだか、何とも言えない気持ちでしたけど、結局勝てなかったんですねぇ」
「……は?」
 そこでぱたぱたと廊下を進む音と呼び声があって、お互いが口を噤んだ。家政婦が急用の電話だと告げ、モモコさんは急用なら仕方ないと小走りに出ていった。
 座卓に残った写真を手に取る。裏を返すと中央には、
『山振の立ちよそひたる山清水 くみに行かめど道の知らなく』。
 何かの歌だろうか。下方には氏名だと思われる『ヨミノナミコ』、そして四十余年前の日付があった。
 他人の空似だろうか。ある日同じ名前、同じ顔した女に出くわしたナギオは、彼女に懸想し通い詰めた。そう考えても可笑しくはない。
 でももし、写真の人とナミコさんが同じだとしたら。
 そんな馬鹿な話なのかも、ただの偶然なのかも今やわからないが……。
 道に迷った奇妙な夜を思い出す。私は何の巡り合せであそこへ辿り着いたのだろう。
 あの時私は境界のどちら側にいたのだろう。

「もう何ごとかと思ったら。お友達が美味しい鰻が手に入ったからお裾分けに伺ってもいいかしら、ですって。うちは今辛気臭いから遠慮するって言うのにどうしてもって」
 モモコさんが戻って来て早々捲し立てるので、思考は終了した。どちらにしたって答えは出ない。
「そう、光吉さん、それでね」
 そして何でもないように、モモコさんは話を切り出した。
「先ほどの話……離縁するって言う。その見届け人になって頂こうと思って、今日はお呼びだていたしました」
是非を問うのではなく決意だ。強い人だと錯覚してしまう。
「……本当にいいんですか?」

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