小説

『おちこちあいめ』曽水あゑ(『古事記』)

「ナギオさんは優しい人でした。噂持ちだけど人柄が良いからってお見合いを勧められて、何となく会ったのに、あんまり良い人だからどんなのでもいいからって、私すぐ嫁いできちゃった……子供も孫もたくさんできたし、何不自由ない生活をさせてくれて。あの人でよかったと今でも思ってます……でもねぇ、その方に未練があるのはずっと感じていました」
 お前には色々助けて貰ったのに、自分のことだけで申し訳ない。恨んでくれていいから。
「そんなこと言うんですよぉ。恨め、って言われたって、ねえ。でね、それから昏睡状態になってしまって。だからあれが今わの際ですよ」
 そりゃあいつも酷なことを。出かかる声をかろうじて抑える。
 モモコさんは一枚の古い写真を差し出した。
「あの人がずっと持っていたものです。光吉さんはご存じですか?」
 掌に収まる小さい中に映っていたのは、
「これは……ああ、一度しか会っとらんですが」
 ナミコさんだった。

「昔からあの人、これをよく眺めてて。私もう妬けちゃって、丸めて捨ててやろうかと何度も思ったんですけど」
情人に財産を分けろ、などと遺言を残さなかっただけでも良しとするべきか。私はあれから二人は会っていないと思い込んでいたのだ。自分の不甲斐なさに頭を掻く。
「昔世話になったところのお嬢さんとは聞きましたが、そこまでとは」
「もう光吉さん、お世話どころか、大本命じゃないですか」
「大本命って」
 私はナミコさんが抱えていた問題を思い出した。もう十数年前のことだから事情を聞いてもいいかもしれない。
「不躾やけど、ナギオはこの人に金を出してやったんじゃなかろうか」
「え! あー、もしかしたらご家族にお渡ししたのかしら。でも、仮に出してもお見舞金でしょうし。だいぶ前のことですから、私もどこまでしたのかは」
 見舞金か、もちろん借金の肩代わりとは言わないだろう。
「いつだか、私が道に迷ってナギオに助けて貰ったやないですか、覚えとりますか?」
「うーん、あったかしら」
「ナギオの朝帰りが続いてる、ってうちのに相談してきた時の」
 モモコさんの細い目がぱちっと開く。
「あああれねえ! あの人、会合の帰りに光吉さんと鉢合わせたけど、外が暗すぎて帰れなかったって私には言ったの。なのにタキさんは二人が一緒だって聞いてないし、私は他所様に泊めて頂いたなんて聞いてなくて。な~んか話が合わない、まさか女の人がいる宿にでも行ったんじゃないのってえらい騒ぎになった、あれね」
 女性が間断なく喋り続ける様を遮るのは、実に厳しい。

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