小説

『おちこちあいめ』曽水あゑ(『古事記』)

 ナギオは私の小さい頃からの友人で、地元では名の知れた商家の一人息子だった。
 農家の私と彼が親しいのは、ナギオの祖母がこの集落一の土地持ちの出で、彼が祖母や母に連れられ親類宅によく遊びに来ていたからだ。屋号で「瑞穂屋の坊」と呼ばれ大人から丁重に扱われる割に威張らず、優しく正直で友人からも慕われた。
 ナギオが隣町で働き始めて数年後、異変が起こった。なんと心中を図ったのだ。相手はやはり隣町の履物屋の娘だったが、何をどう試したのか女だけが死に、ナギオはほぼ無傷で助かってしまった。
 当時ナギオには、銀行で高い役職にある人の娘との縁談が持ち上がっていた。家業を大きくしたい両親は大変乗り気だったし、跡取り息子としては断れまい。しかし懇ろになった女を捨てることもできず、そのような手段を取ったのだった。
 心中の件は相手方の知るところとなり、速やかに破談となった。一方でどう収めたのか、死んだ女の家族が騒ぎ立てたと言う記憶は私にはない。
 それから幾ぶん時間はかかったが、ナギオは離れた町の商家から末娘を貰い受けた。縁談の釣書を手渡された時、ナギオは自分のところに来てくれる人がいるだけで有難いからと、大して中身を検めもせずただ頭を下げたそうだ。
 嫁いできたモモコさんは頗る美人と言う訳ではなかったが、明るく愛嬌たっぷりな話しっぷりと、戎さんとあだ名された福顔の持ち主で、とても人の気を引いた。うちの家内も惹きつけられたのか、すぐに親しくなったクチだ。
「ねえ、桃が魔除けの実だって話、知ってる? 先月お悔やみからの帰りに玄関前でお塩撒いてたら、ナギオさんが『モモコだけに魔除けやから、いちいち塩は要らんなあ。塩が高い時はお前で節約しようかあ』って揶揄うのよ。こんなか弱い女捕まえて魔除けですって。『私、鬼より怖い顔してお店に立てませんからね』って文句言ったわよお」
 モモコさんがナギオのことを話す時は、何であっても嬉しそうで、本当にあの二人仲いいのよ、いい人が来てくれてあそこも安泰ね、と家内も友人の幸福を喜んだ。
「モモコが来てから、うちは明るくなって商売もうまく回っとる。あいつには本当に暗いものを除ける力でもあるようやわ」
 こうナギオが控えめに惚気たことがあったが、案外魔除けの話も真剣に言っとるなと、私は思った。

 
 ナギオとモモコさんは一男二女に恵まれ、今では誰もが認めるおしどり夫婦だ。家業も誠実さと明るさで変わらず守り立てている。長男も店を継ぐため、来年には勤め先から戻ってくるらしい。何の申し分のない毎日だ。
そんな折、ナギオが度々外泊を繰り返すのだと、モモコさんがうちの家内に相談に来た。知っていることがあれば報せて欲しいと言う。

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