小説

『水鏡』藤田竹彦(『死神の名付け親』)

「しかし生まれてこの方、疫病神と貧乏神には取り憑かれても神様が憑いた気分になったことはないなぁ…確か千栄の奴、小声で死んじゃえばいいのになんて言ってやがったけど…この上死神にでも取り憑かれたら、たまったもんじゃねぇよ」
 八郎はごろりと横になり仰向けに姿勢を変えると天井を見た。そんな彼の顔を見知らぬ男が不意に上から覗き込んで来た。驚いて飛び起きる八郎、彼は半身になって身構えた。
「誰だ、てめえは」と八郎。
「死神だよ」としゃがれ声で男は言った。
 怪訝な顔で自らを死神と名乗る男を観察する八郎。小柄な男は鼠色のマントを着て、頭
 巾を被っていた。鼠色のマントは男の足首までをすっぽり覆っている。
 ローソクの灯りの中、男の顔を用心深く見る八郎。男の顔は皺が多く老人に見えるが、八郎の知っている老人ではなかった。
「もう一度聞くぞ…誰だ?てめえは」
 頭巾を取りながら老人は口許を緩めた。
「もう一度応えてやるぞ…死神だってばよ」
「バカ言いてねぇで要件をいいなよ、大家の使いなら金はねえぞ」
「だから死神だってばよ!大家の使いでも、借金の取り立て屋でもないんだってば」
「お前、頭おかしいんじゃねぇのか」そう言ってあぐらをかいて座る八郎、彼は自分が相手より腕力で劣ることはないと確信していた。
「おまえさん、今俺は絶対こいつに負けないと思ったろ」老人が言った。
 目を丸くして老人を見る八郎、彼の心はざわざわと騒ぎ始めていた。
「ああ…思ったよ…」言葉を所々呑み込むように八郎が応えた。
「お前さんには悪いけどこう見えて私の頭は正常だし、腕力なんてお前さん相手には必要ないからね」そう言って老人は、背後から身の丈より長い柄の大きな鎌を取り出した。
 鎌の大きさにビビる八郎。彼は考えを変え始めていた(もしかして本物?)と。
 八郎の心を見透かしたように死神がほくそ笑む。
「お前さん、今こいつマジ本物の死神かも…って思ったろ」
 目を丸くする八郎、喉をごくりと鳴らした彼は目の前の老人は死神なんだと確信した。
「お前さん、疫病神と貧乏神が憑いているけど、今までいいことなかったろ?」と死神。
「自慢じゃないけど、生まれてこの方、食い物にもらい事故、嫌な予感以外当たったことがない!」下っ腹に力を入れ、声を絞り出す八郎。
「きっぱり言い切るね、まぁ、でなきゃあたしがお前さんの所に来たりしないか」
 死神の言葉に首をかしげる八郎、眉をひそめ死神を見ながら、
「どういうことです?」と尋ねた。
「残念だけどお前さんの寿命、明日の暮れ六つ、今でいう夕方の6時までなんだよ、それであたしが迎えに来たってわけ」

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