小説

『勇者はおばけの如く』鈴木沙弥香(『桃太郎』)

「あたしね、屋上から落ちたの」
 唐突にチサが言った。内心ではみんな驚いているかも知れない。けれど、僕もコウタ君もケンジさんも、ただじっと夜空の星を見つめながらチサの話に耳を傾けていた。
 チサが語り出したのは高校時代の出来事だった。同じクラスだったチサの親友は、目立つ女子グループに目を付けられいじめを受けていたらしい。チサは親友を守るために常にそばに居たという。いじめを目撃すれば助けにも入ったし、先生にも報告した。だが誰も助けてはくれなかった。
「その子、両親のことを思って親にも言わなかった。それがどんどん自分を苦しめているとも気づかずにね」
 女子グループのいじめは陰湿だと僕も知っている。そのいじめに耐えられなくなった親友はついに自殺を決意するが、親友は“自殺”ではなく“事故”を装って死のうとしたらしい。
「あたしに目撃者になれって言うんだよ? そんなの無理に決まってんじゃんね」
 サチが着いた頃には親友は手すりの向こう側に居た。落し物を拾おうとして足を滑らせた、そういう筋書きにしたかったらしい。サチは必死にその手を掴もうとした。けれど親友は戻ってきてくれない。だからサチは超えたのだ。手すりの向こう側へ。やっと掴めた親友の手。けれどサチはバランスを崩した。
「落ちる、そう思ったら離さずには居られないでしょ」
 親友の手を離してから見えたのは、親友が必死に手すりにしがみつく姿だったという。
「本当はまだ生きたかったんだって、安心した」
 サチはあの時のことを親友が後悔してないか、罪悪感に駆られていないか心配なのだ。
「生きてて良かったって、言いたいの。まぁ顔は思い出せないし、どこにいるかも分かんないけど」
 サチの“死”に、僕は優しさと強さを感じて、自分が情けなくなった。
「僕はね、お兄ちゃんに会いたいんだ! それで会ってね、元気だよって教えてあげる」 
意気揚々と口を開いたコウタ君は、自分の家庭について話し出した。
 コウタくんはシングルマザーの母親と2歳上の兄と3人暮らしだった。母は情緒不安定で暴力を伴う虐待は日常茶飯事だったという。兄と怯える生活をしていたある日、児童相談所が訪問にきた。それは兄がコウタ君を守ろうと自らSOSを出したから。ここしか逃げるチャンスが無いと2人は家を出ようとした、だが母は2人を蹴り飛ばしその行動を阻止したという。結局逃げることはできず日常は何も変わらなかった。
「ママはね、いつも怒ってた。何に対してそんなにイラついてるのか分かんなかったけど、きっと僕たちが本当にいらなかったんだよ」
 ある日ベロベロに酔った母が寝ているコウタ君の首を締めてきたそう。
「ママは幸せになっちゃいけないの? ずっとそう言ってた」
 苦しもがくコウタ君の目線の先、母の背後にフライパンを持つ兄の姿が見えた。兄はなんの躊躇もせずに母の後頭部にフライパンを振り下ろした。痛みに苦しむ母を置いて家を出ようとするが、2人は母に捕まる。母はフライパンを持った手を兄に振りかざした。
「だから僕はフライパンが当たる前にお兄ちゃんを抱きしめたんだ。痛く無いように。お兄ちゃんいつも僕のこと守ってくれてたように」
 僕の目から言葉にできない悔しい思いが流れ落ちる。生きたくても生きられない子がいるのに、僕の悩みはなんてちっぽけだったんだろう。
「わ、私は、も、申し訳ないけど、じ、自分から命を絶ってしまったんだ」
 声を震わせてケンジさんがボソボソと話し出した。

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