小説

『心礼動画』洗い熊Q(『東海道四谷怪談』)

 もわっと朧気に浮かぶ白い影。そう見えるのは巧みで緩りとした動作のお陰。静かに靄の如く上がってくる長い髪の頭。決して重心がぶれないようにと。
 彼女の目は前髪に隠れたままだ。だがそこから隠れ出た冷気がさらりと背筋を擦り上げる。
 誰もが息を呑んだ。
 そして僅かに彼女が顔を上げる。前髪が流れて瞳が現れた。その瞬間、彼女は観客全員を睨みつけたんだ。

 思わず観客席から何人かの悲鳴が上がった。それは良く分かる。僕だって震え上がってたんだ。
 いや僕の震えは恐怖からじゃない。感動と興奮が入り交じった。そう開けた箱の中に金銀財宝などカスに見える至宝がそこにいた。

 
 劇が終わった後、先輩の伝手を使い彼女と話す機会を得る。その時には先輩と僕の立場が入れ替わっていた。
 積極的に僕から沢子を誘っていたんだ。興奮気味で熱く語っていたのを覚えている。厚かましいなんてこれっぽちも思わなかった。
「何か貴方の参考になる作品は有りますか? 検討させて下さい」
 事務的な彼女の返答。警戒されていると漸く気付いた。やってしまったと後悔して二つ返事で承諾したが。
 彼女を説得しうる作品なんて僕には有ったかと更に後悔した。
 嘘を見繕ってもしょうがない。今間で撮って駄作を含めた全ての作品を彼女に渡す。失望させてしまうか。断れられると覚悟に諦めを混交させて返答を待った。
 だが予想外に早い返答。彼女は快諾してくれた。欣喜雀躍したが、その時になって思い出す。
 一目見て気付いてたんだ。僕が見ていた嶋沢子だったと。

 
 沢子の参加で心霊動画の質が見るからに向上した。想像を超えて期待以上の彼女の演技力。メイク技術も秀逸だ。
 スタイリストでも一流になれるのではと思った。だが役者としての彼女。男女問わずの配役を熟し、別作品に登場させても同一人物だと思わせない雰囲気作り等。
 惚れ込んだ。その時は女優としての彼女に。いや、きっとそう思い込もうと努めていた。
 女優として成り上がっていく彼女。その傍らに監督としての自分が。描いた夢には一生の伴侶としての自分は存在しない。

 撮影現場の下見に打ち合わせ。彼女と二人きりの状況など日常茶飯事だった。朝まで語り尽くした事だって。その時は何を話したか。
 ああ。何てことない映画の論評だった。古い映画に詳しい沢子を知って、昔の印象との隔たりを感じたが。
 でも現場で奇妙な発言や行動する沢子を見た時は、昔と変わらず何かを見ていると薄気味悪さより何故か郷愁見る光景として感じもした。
 それを追究しなかったのも沢子の気遣いを汲み取れたからだ。

 そう何時も彼女は見ていてくれた。
 現場でもそうでなくても。僕の意見を聞き、目を真っ直ぐに向けてくれ、そして頷いてくれる。
 頷く先にいるのは監督としての僕だ。それ以上でも以下でもない。

「直樹は凄いよ。尊敬する」

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