小説

『三枚のかさぶた』鈴木りん(『三匹の子ブタ』)

 朝の六時、少し前のことだった。
 紅に染まる窓ガラス越しの朝焼けを、目を細めながら眩し気に見遣るひとりの男がいた。朝五時までの勤務を終えたその若い男は、人気の疎らな電車の中、気怠い体にのしかかるすべての重みを濃いベージュ色の座席シートに預けている。
 窓ガラスに映る、彼の青白い頬と艶の無い髪。
 昼間のお年寄りの多い時間帯ならともかく、今の車内には本人も含め、彼の健康状態を心配する人など誰ひとりとしていない。
「今日も、一日が何事もなく終わる……」
 こんな一日の始まりの時間帯に、何を見当外れなことを言っているんだろう――そんな風に思う人もいるかもしれない。だが、当の本人にとっては深夜勤務を終え、家に帰って泥のように眠るまでの時間帯は、まさに一日の終わりなのだ。
 頬に刻まれた縦の皺と目の周りの薄黒い隈が、彼の疲労具合をよく表していた。

 そんな、朝からただならぬ“ぐったり感”の溢れる男――名前を、山下良平(やましたりょうへい)といった。
 二十七歳の独身でファミレスチェーンの店長。
 だが今の時代、所詮雇われ店長などという役職は、ただの飾り物に近い。
 良平にとってもそれは、ご他聞に漏れずといったところだった。学生時代から続けていた週四日のファミレスのアルバイトという立場が、当時の店長に誘われるがまま、大学卒業と同時に入社してしまったというのが彼の入社経緯である。その上、特に願ってもいなかったのにも関わらず二年前には会社の辞令により店長に昇進してしまい、現在のこんな状態に至った――という訳である。
 こんな成り行きだから、今の仕事に特に不満を感じてはいないものの、かといって特にやりがいも感じてはいないというのが彼の本音だった。175センチの中肉中背、特に大きくもない体で、最近の人手不足の社会状況をもろに受け、深夜勤務ばかりの日々を過ごす毎日。
「俺は何をするために生まれてきたのだろう……。あの卵みたいな形をした呼び鈴スイッチを押される度、客に頭を下げることじゃないはずだ」
 だが今の彼にとって、これからまだ長いこと続くであろう人生の目的を冷静に考えることは困難であり、直ぐにでも家に戻ってベッドに潜り込みたいという安直な気分の方がかなり優勢な状態であることは、間違いない。

 脳内で静かな葛藤を繰り広げる良平を乗せた電車も幾つかの駅を通り過ぎ、ようやく彼の降りるべき駅に到着。

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