小説

『三枚のかさぶた』鈴木りん(『三匹の子ブタ』)

 舌なめずりしながら近寄って来た彼女は、膝のハート型のかさぶたに触れるとニヤリと笑った。だが、接着剤で糊付けされたかさぶたにごつごつとした感触を感じたらしい彼女の表情が、冬山の天候の如く急降下し、どんよりと暗雲垂れこめるものと化した。
「ちょっとぉ……何でここ、糊付けされてんのよ。アタシにこのかさぶたを渡さない気?」
「ヒイィィッ!」
 彼女の体から発する怪しいオーラに身震いした良平だったが、体全体にぐっと力を入れて膝を揺り動かし、彼女の手からかさぶたを引き離した。
 そして、目をひん剥いて怒る彼女の一瞬の隙を突き、足の縄をするりと解くとダッシュした。向かうは、トイレ。この部屋の中で完全に一人きりになれるのは、そこしかないのだ。
「アンタ、何処行くのよ!」
 両手の縄を解いた良平が、トイレのドアを開けた。
中に入るとすぐさま鍵をかけ、便座に座る。
(彼女、マニアとはいえ、たくさんのかさぶたを見て興奮しすぎだよ……。彼女を元に戻すのにはもう……これしかない!)
 良平は、まるで盆踊りのクライマックスのときの和太鼓のような、すごい勢いで叩かれるドアを左手で押さえながら、右手で予備のトイレットペーパーの置かれている場所にある赤色のサインペンを取りあげた。それは、酷い便秘症の彼が“出た日”をトイレ内に貼られたカレンダーの日付に丸を付けるためのモノだった。
 キャップを外し、接着剤の渇いた部分にサインペンで塗って、かさぶたを真っ赤なハートにしてしまう。
「幸恵! 今、お前にLINE送った。それが俺の気持ちだ。見てくれ!」
「え!? 何ですって?」
 もう少しで穴が開いてしまいそうだったほどのドアを叩く音が止み、ドアの向こうで「まあ……」という彼女の優しい声が聞こえた。彼女に送ったのは、「愛してる。結婚してくれ」という言葉を添えた、真っ赤なハート型のかさぶたを写した写真だったのだ。
「これが、嘘偽りない今の俺の気持ちだ。お前がかさぶたが好きなことは分かった。でも今の俺は、それを上回るアツく煮えたぎった愛をキミに感じているんだよ……。そんな俺の気持ちに免じて頭を冷やし、元の可愛い幸恵に戻ってくれないか」
「そうね……わかったわ。アタシ、どうかしてたみたい」
「幸恵、分かってくれたんだね! 今ここから出るから、ちょっと待ってて!」

 鍵を開けて、良平がトイレの外に出る。
 恐る恐る目を向けると、彼の目の前にはいつもの幸恵がいた。あの、ころころと笑う優しい目をした幸恵が――。幸恵が自分の気持ちを真正面に受け止めてくれたんだと理解した良平は、肩の荷を下ろすように全身から力を抜いた。

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