小説

『真行寺美鶴は恩返せない』柘榴木昴(『鶴の恩返し』)

「あの、本当に違うんです!」
 ……少しの間のあと、みんなが笑いました。望月君も頬が緩んでいます。
「もー、美鶴はいっつも真面目なんだから」
「真行寺さん、固くなり過ぎだよ」
「やっぱりあんた、いい人だなあ。気にしなくていいってば」
 ぱっと、明るくて暖かい空気が流れました。あと、望月君の声で胸がドキドキしました。
「ねえ、美鶴もカラオケ行く? 望月も行こうよたまには」
「あの、私は習い事が」
「俺もバイトがあるからなあ。今度の日曜ならいいよ」
「日曜はダメ。デートなの」
「なんだよ。また誘ってくれよ」
「わかった。また企画するからバイトの日教えてな」
「おう」
 そんな感じで軽く会話して、みんなは行ってしまいした。私ははてな、がたくさん浮かびました。
「じゃあ、俺こっちだから」
 校門を出ると、すたすたと言ってしまいました。バイトは秘密ではなさそうだし、不登校だった割には友達とはすごく仲がよさそうです。私はなんだか取り残されたような、少し寂しい気持ちになりました。

「美鶴さん、指の運びが今日は遅れ気味ですね。楽譜もいくつか飛ばしてます」
「すみません」
「いえ。調子が悪いの?」
 ポー……ン、と鍵盤を鳴らしました。週に二回のピアノは唯一の好きな習い事でした。塾や書道やお花とちがって音楽に身をゆだねているときは別人のように心が軽くなるのです。思い切り背伸びしたような解放感があるのです。いつもなら。
「ショパンはやめて、こちらにしましょう」
 先生が楽譜を取り替えました。リストの第三楽章でした。弾いたことが無いので気を引き締めて集中します。
 テンポに注意して楽譜を追うと、不安そうなメロディが鍵盤から放たれました。徐々に焦燥感に似たはじけるようなアップテンポになり目眩のような変調のあと落ち着いた、心臓が喜ぶようなメロディが愛らしく踊りました。
 緩やかに、恍惚をもって鍵盤から指を下ろしました。
 パチパチパチ、と先生が手を叩きます。
「お見事。難易度が高い曲ではないけれど、心をのせるのが難しい曲ではあるのよね。よっし、今日は少し早いけど終わりにしましょう。先生がおうちまで送ってあげるわ」
 車の中で先生はくすりと笑いながら言いました。
「ピアニストは楽譜に教えられるというけど、私もそうだったな。さっきのリストの曲はね、私が依頼を受けた結婚式ではかならず弾くのよ」
「結婚式ですか?」

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