小説

『真行寺美鶴は恩返せない』柘榴木昴(『鶴の恩返し』)

 私も車に背を預けた。今、この瞬間は隣にいるけどこの後からもう、望月君の隣にいることはできないのでは。
「ごめんなさい、いつも気をつかわせて」
「なあ、真行寺」
 ひょいとトランクから降りて彼が私の前に立った。
「別に迷惑と思ってないから、こういう時は謝るな」
「でも」
「じゃあ恩返し、してもらうことにする」
 顔をあげると、真剣な望月君がいました。瞳に映り込んだ私にも彼が映っているのでしょうか。
「なにをあげたらいいですか」
「なんでもいい。今すぐ出せる物。ポケットの中になんかある?」
「ええと、ハンカチなら。でも、あの、今日手を拭いてしまったのです」
「いいよ。頂戴」
 断る理由は在りませんでした。念願叶って恩返しできるのですから。ハンカチを、そっと、渡しました。
「大事に使うよ。気をつかってくれてありがとう。真行寺、『ありがとう』」
 ……あぁ。この人はなんて優しいんだろう。
 泣いてしまった。突き飛ばされてアイスにまみれても泣かなかったのに。結局また気をつかわせてしまった。だから、そんなときは謝らずに。
 ありがとう、望月君。
 彼は言葉を押してのけて出る涙を拭いてくれました。今渡したハンカチで。
 顔を覆って泣いてしまいました。そのまま抱きついて泣いてしまった。顔をうずめて、泣いて、泣いて、泣いてしまった。
「し、真行寺?」
「……みないでください。恩返ししますから」
「そんな鶴の恩返しみたいな」
「私、真剣なことひとつ見つけました」
 なに、と彼は言いました。
「あなたのことが好き」
 秋の陽は落ちる中でも優しくて、彼によく似合いました。
 キスをしました。とても甘くて濃厚な。

 それからずっと、この気持ちをくれたこの人に恩返しをし続けています。いつまでたっても返しきれないのです。
 今でも車イスを押しながら、そういえばこんな秋の日だったなと遠い遠い学生時代を思い返します。

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