小説

『白雪姫と多勢に無勢のこびとさん』島田悠子(『白雪姫』)

「気分は?」
 私が聞くと翼が上半身を起こした。病室には私と翼だけ。
「なんで、舞川がいんの?」
 翼はメガネをかけていつもの翼になった。私は言葉を選んだ。
「キミに興味がわいたから」
「なにそれ」
「学芸会、クラスの大半はどうでもいいと思ってる。でも、キミは違う。いつだって誰より冷めてたキミが、どうして今に限ってがんばるのかなって」
 最近、翼から目が離せないのは、翼が今までと違うから。ガラス玉のような瞳の奥になにかを隠している、そんな気がして。
「さっきまでキミのおばあちゃんと先生とあずとルナもいたんだけど。さっき、おばあちゃんが三人を下まで送ってって。あの二人、号泣して謝ってたよ」
 翼は窓辺を見た。そこには花瓶が置かれ、花が活けてある。
「親のこと、言われてキレる気持ち、わからなくもないよ。きっと、あずも、ルナも、親の期待に応えたいだけなんだ」
「キミも?」
 翼が私を見た。
「他に見舞いに来た人、いた?」
「わからない。でも、そのお花は」
 窓辺の花は私が来たときにはすでにあった。優しい黄色のガーベラ。
「これ。オレの母親かも」
「え? でも」
 私は口をつぐんだ。翼のママは翼が小さい頃に家出した。育児ノイローゼだ。なぜかクラスの誰もが知ってる。翼は黙って頭の包帯をほどきはじめた。包帯が取れると傷口を覆うガーゼが当たっていた。翼はそれも取った。痛々しい今日の傷が見える。
「この辺にない? 大きめの、古い傷」
 髪の中をさぐる翼。みつけた。
「ある。痛そう」
「もう痛くない。痛かったかどうかも覚えてないし、どうしてついた傷かも知らなかった」
「取っていいの? 包帯」
 翼がくすっと笑った。翼が笑うなんて。
「うちの父親がさ、よく隠れてスマホいじってて。はじめは新しい母親ができるんだと思った。でも、なんか違った。悪いと思ったけどロック解除して、中身を見てみたんだ。そしたら、その相手がさ」
翼は黄色いガーベラを見た。私は息をのんだ。
「うそ」
「ムカついた。本気でイラついたよ。なんでコソコソすんだって。教えてくれたっていいじゃんか。でも、おばあちゃんに探りいれて、わかったんだ。この傷は、あの人がつけた傷だって」
 私はなにも言えなかった。翼は話し続けた。
「オレが二歳の頃。あの頃は、おばあちゃんはおじいちゃんの介護があったし、父親も仕事が命でさ、ママは一日中、悪魔の二歳のオレと二人っきり。ある日、ママはがまんの限界が来て、オレを叩いた。手をあげたのは初めてだった。不幸な事故だったんだよ。オレが転んだ先におもちゃがあった。それで頭を切った。頭の傷ってじゃばじゃば血が出るじゃん。たいした傷じゃなかったのに、あの人はオレの血を見て、泣いて、泣いて、泣いて、消えた。母親失格だって」
「そんな!」
 思わず口をついて出た。
「あの人は卑怯だよ。オレを置いて逃げるなんて。小さい頃のオレはさびしくて泣いてた。物心つくと、あの人を責めた。今は、なんでかな。わかる気がするんだ。消えたくなる気持ち。オレもずっと、自分のせいだと思ってたから」
 言葉を失った私に、翼が包帯を差し出した。
「巻いてくれる? テキトーでいいから。おばあちゃんが心配する」
 私は翼の頭に包帯を巻く。巻き方はわからない。でも雰囲気で。
「いろいろあったけど、思うんだ。過去なんかどうでもいい。誰のせいでとか、なにが悪くてとか、そんなことはどうでもいいって。悔しいけど、忘れられないんだ、あの人の匂い。あの人が残していった服が好きだった。あの人がオレをくるんでくれた毛布を手放せなかった。断捨離とか言っておばあちゃんがみんな捨てたときには世界の終わりかと思ったよ。いつだったか、大人の話を盗み聞きした。あの人はオレのこと、愛してた。だから自分を許せない、帰ってこれないんだって。オレ、知ってた気がするんだ。父親のセンスじゃない誕生日プレゼントも、おばあちゃんの味じゃない運動会の弁当も、二人がやたらオレの写真を撮りたがるのも、なぜなのか。風邪ひいて、寝込んで、目が覚めると、誰かがそばにいたような気がしたのも、なぜなのか。変だろ、うちの家族」

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