小説

『悟らずの筆』森江蘭(『徒然草』より『仁和寺なる法師』)

―とんだ掘り出し物にあたったものだ。これは佳い女ではないか。いつぞやの女よりはるかに上玉だ。それにつけても坊主が邪魔よ。この坊主がいなければ、この寺も女も、俺のものにできようものを。
 ならば―。
 そんなことを思ったときです。お坊様が湯気の立つ椀を持ってまいりました。その数日、温かなものなど口にしておりませんでしたから、私は夢中でその椀をすすりました。思い出してみれば、それは菜っ葉の切れ端が入った粗末な雑炊だったのでしょうが、干天の慈雨とはまさにこのこととばかり、すっかり椀の中身を胃の腑に収めました。気がつくと体の中が、ぽっ、と暖かくなっておりました。
「かたじけのうございまする。なぜ、見知らぬ私にかようなことを。」
「仏の前では拙僧も御身もみな同じ。何の不思議があろう。残念ながら、もう一椀というわけには参らぬがな。」
 お坊様はからからと笑いました。
「時に、御身はなんと申す。」
 名前。そういえばそんなものもあったか。私はふと不思議な思いにとらわれました。人に名前を尋ねられることも、名前で呼ばれることも、久しくございませんでした。打ち続く飢饉や大火、戦乱の中でその日を生きてゆくのがやっと。ようやく見つけた働き口だった貴族の館でも、つかえぬ奴よと、早々に追い出されたばかりの私にとって、まともに人間として扱われたような、そんな気がいたしました。ですが、お坊様のその問いに、私はなぜか言葉に詰まってしまったのです。
「御身、名はないのか。まぁ、よい。見ず知らずの坊主に名乗ることもあるまいが、拙僧は良托と申す。このような貧乏寺ゆえ、たいした事はできぬが、行き先が決まるまでゆるりとしてまいられよ。」
―こんなご時勢に人助けとは、まったく人のよい坊主だ。多少の飯にもありつけそうだし、あの女を連れ出す手立てもできよう。
 そんな下心から、私は良托さまのもとでしばらく働くこととしました。私に何があったのか、良托さまはそのあと深くお尋ねになることもありませんでした。
「しかし、御身を呼ぶときに名がないのは不自由なものだ。どうじゃな、良順というのは。御身の名乗りは自由だが、拙僧は良順と呼び申そう。」
 いま名乗っております名は、このときに良托さまからいただいたものにございます。
私によいかどうかも尋ねることなく、それから良托さまはことあるごとに、わたしを良順、良順と呼びました。 
 それはまるで、まだ自らの名を言えぬ幼子を育てているかのようでございました。
 良托さまのところにいた千種という娘御は、病弱な体ではございましたが、私と一緒に良托さまの身の回りのお世話などをしておりました。

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