小説

『悟らずの筆』森江蘭(『徒然草』より『仁和寺なる法師』)

器量の良い娘御でございましたので、たいそう高く売れました。娘を売り払ったその貴族は、のちに都を離れ東国へ下ったそうですが、娘がどうなったのか、私に知る由もございません。
 ただ、石清水八幡宮へと続くあの参道は、私にとってその罪を犯した道ということに変わりはなく、たとえそのことが千種にばれぬにせよ、不安と恐怖にさいなまれていたのです。
 本当にばれないものか。娘がいなくなったことを覚えているものもあろう。千種がそのことをかぎつけ、私が良托さまの娘御をかどわかしたと知ったら。

 恐ろしう、ございました―。

 私は道中、良托さまや千種とすごした日々を懐かしく、そして、幸せな気持ちで振り返っておりました。この世に生まれ、まともに人として扱われたこともなかった私にとって、それは初めて得た、安らぎの場所だったのかもしれません。散々悪事を尽くしてきた身に、何を勝手なことをと思われましょうが、間違いなく、あの寺での日々は幸福な日々でございました。
 私を人にしてくれたのは、まさに良托さまと千種だったのです。
 それを、私はすべてこの手で壊してしまいました。
 所詮は畜生道に堕ちた身の虚しさ。幸せというものに慣れていない人間は、それを失う怖さに耐え切れないのかもしれません。だから、自分でそれを壊そうとしてしまいます。なんとも奇妙な話です。ですが、生まれたときから人として扱われてこなかった者は犬畜生にも同じ。いえ、犬畜生にも劣りましょう。それは自分のせいではない、と誰かが止めていてくれたら、いや、良托さまはまさにそのことを私に教えてくれていたはずなのです。
 なのに―。
 私は、どんどんと膨れ上がっていく恐怖に打ち勝つことができませんでした。千種に私のしたことがばれたらどうすればいいのか。良托さまになんと言って顔向けすればいいのか。
 石清水八幡宮の参道に付くと、ちょうど正面に大きな月が上がっていました。
「ああ、きれいなお月様。」
 今となっては、もっと他の方法もあったはずです。ですが、あのとき、月を見上げた千種の顔が、私をねめつけているように、そう、あのとき口をふさいだ良托さまの娘御の顔に。
 私には見えたのでございます―。
 私が千種の首を絞め、千種の体から力が抜けてくず折れたのは、一瞬のことでございました。いえ、千種は私から逃れようと必死に体をばたつかせていたに相違なく、きっと長い時間苦しんでいたのでしょうが、私には一瞬のことに思えたと、そういうことでございます。

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