小説

『ビートルズ』もりまりこ(『変身』『冬の蠅』)

 愛川さんは昼休憩もう終わるわよ、っていうか終わってるわよって言いながらもやけにうれしそうだった。
ふたりでオフィスに戻るとき、忘れなさいただの虐待野郎じゃないって付け加えた。

 いつだったか、あなたは言った。
「繭は4回脱皮するんですよ」
「4回?」
「そう4回」
「4回ぐらい脱皮してもわたしはなにも変わらない気がします」
「それは繭子さんが今幸せだからそう思うんですよ」って言うと眉間に皺を寄せてすこし身体のどこかに痛みが走ったときの苦しそうな顔をした。似た眉間の皺をどこかで見たような気がすると思って記憶を辿る。手繰って手繰り寄せようとしたら手繰るまでもなくあのテレビの中の対談でしゃべっていた物書きの、コップの人だった。
 奥さんの罪滅ぼしをしたくてあなたはわたしに闇を葬ろうとしていた。
 罪を纏って掃出していたあなた。
 あなたの呼吸をそのまま吸い込んでいたわたし。わたしはあなたの細胞の隅々までを身体のあちこちにトランスポートする。
 愛川さんからあの人の闇の話を聞かされた時、ほんとうはそれは愛川さんの闇じゃないかと疑ってみたけれど、テレビではあなたのニュースばかり伝えていた。
 書店にふらふらと入ってみた。あの眉間の皺の深い男の人の小説を読んでみたかったのだ。新作が出ていた。冒頭のカギカッコの中に点点点が6個だけ並んでいた。あの黒い点たちがじぶんなんだとわたしは思う。繭が6個。つまり、そこに脱皮を待っているちいさな蚕が並んでるいのだと。

 リスナーであることを辞めたわたしは、ハローワークに行った帰りいつもあの人と待ち合わせていた<凪沢郵便局>のポストの前に立っていた。あなたを偲んでいるのではない。ちょっとした夢想が頭から離れなかったの
だ。
<ここをあの人たちの墓場にするのはどうだろう>そんなプランA。
 郵便ポストの細長い口にビートル君やビートル氏、ビートル夫人をそっと、放つ。どうだろう。運が良ければ、郵便配達員のだれかが拾ってくれて、局で飼ってくれるかもしれない。そう思った。誰もみていない時をみはからって袋に入れたビートルたちをポストの中にわたしははなった。耳をすますと<がさごそ>って聞こえてきた。
<きみたち、さよならおめでとう>と胸の中でひとりごちた。

 
 その日の夜わたしは誰もいなくなったひとりの部屋にいた。

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