小説

『ビートルズ』もりまりこ(『変身』『冬の蠅』)

 そんなことを思っていたことさえ今日の夜には忘れてしまうだろう。
 わたしとあなたはいつからかこの街の<凪沢郵便局>の前で待ち合わせるようになっていた。一種の擬態だ。リスナーであるわたしがあなたに逢うことは、あまり正しくないことに気づいていたから。偶然ここで逢いましたということを装うためにわたしたちは郵便局を利用した。年末アルバイト募集中のポスターをどれぐらい眺めていただろう。道行く人が少し怪訝な顔で通りすぎてゆく。
 大きなポストに凭れながらそれを見ていたから、時折ポストに郵便物を入れに来た人の気配を背中に感じた。
 手紙や書類をポストの口に落とす時に伝わる、<こそり>や<がさ>っていう音がわたしの背骨を通過して、尾骨あたりがむず痒くなる。見知らぬ人の書類や手紙に書かれた無数の文字を思う。無数の文字は夥しく折り重なって、浮遊する。
 この前あなたと会った時を思い出す。茶封筒を抱えたあなたがセブンイレブンの前を過ぎるのが見えた。リズミカルに肩が揺れていた。わたしを見つけたあなたは軽く会釈する。偶然を装い頭を下げるのだ。装うのは誰のためなのか今となってはふたりともわからなかったけど、それはふたりだけの掟のようなものになりつつあった。でも今日、あなたは来なかった。ラフな黒のブルゾンに深緑のコーデュロイパンツでやってきたとき、あれが最後だった。

 やってきたのはあなたではなくて愛川さんだった。
「なんで? わかったのここって」
「そんなことはいいから、わたしは見倒してきた女よ。繭ちゃんの秘密ぐらい知ってたわよ。それよりさ、あの人嘘ついてたって」
「あの人?」
「そうよ黒のブルゾンの人。色黒のおにいさんよ。警察も来たしさ、ねニュースみてない? 妊婦が同行されてゆくシーンみなかったの?お兄さんがね、抱えていたものはねあのお兄さんの闇じゃなくて奥さんのものだったのよ。わかる? あの妊婦さんがね、小さい頃から近所の子供を苛めてて苛め倒して、それがあの人と結婚してから治ってたらしいんだけど。結婚した相手もね同じアナのムジナだったのよ。誘拐して置き去りだって、E島の海に>
 あなたの闇は奥さんの闇。
 わたしは愛川さんの口元をみてる。止まらない。まだひゃっぱーは出てこない。どこかで見た縞々の浮き輪が浮かんでくる。浮かんだままその穴は誰かを探してる。空っぽの海もだれかを待っている。
「妊娠してさ、置き去りの悪癖がとまらなくなってたら、いっしょにあのお兄さんも同じように小さい頃に罪を犯してたことが蘇ってね。共犯よ。それで捕まったって、ワイドショーでやってんのよ、続きみないで来たんだからね」
 黙ってると、愛川さんはダダダと弾を放ち続ける。
「あのお兄さんはね、奥さんの罪と自分の罪をうちらの職場でなんとかちゃらにしたかったのよ。妻の罪はじぶんが導いた罪だとか何とかって。礼拝堂じゃないってぇの」

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