<いろいろ、見てきたのよ、そうひゃっぱー見倒したって感じよ。だから今は聞き倒すの>
愛川さんの口癖<ひゃっぱー>がわたしは嫌いではない。こういう人が継母だったら仲良くできただろうにって夢想してみる。
液晶画面に視線を戻す。男の眉間はすこしずつわからないぐらいの速さで、皺が深くなっていくのがなにかの化学反応のようで、わたしは化学物質含有調査の調査員のようにそこばかりみていた。
「ほら、ここにコップがあるとしますよね」
肉付きのいいその物書きの人の指が、包む形をつくりながらそこにはコップがあるのだとわかるような仕草をする。
「このコップそのものを言い表そうとする時に、僕たちはこのコップをまず何かに喩えるわけです。なになにのようだと。またいま比喩したものを更に説明する為にまたひとつ比喩を重ねてゆく。するとここにあるコップそのものから
は遥かに遠ざかってゆくわけです。つまりこのコップそのものに触れることは、永遠にできないのだと」
わたしはおもむろにキッチンのシェルフからマグカップを取り出してくる。
ミルクを入れてテーブルに置く。遠ざかるマグカップと呟いた後、ここにマグはあるじゃんと納得させながら液晶画面に視線を送る。
ゲストだった男の人が答える。
「そうなんですよ。もう聞き飽きた言葉ですけどね、日々仮想で成り立ってることに我々はなれすぎてしまっているわけです」
物書きの人の眉間には、形状記憶の布のようになにも刻まれていなかった。
さっきまであったのにないってこころのなかで思いながら、マグカップの中で少しだけ波立っているミルクの海を眺めていた。
その男の人は、ある昔の作家が書いた飲み残した牛乳瓶を日向に置いておいた後に、その壜のなかに入り込んで落ちてしまう蠅のことを書いたその眼力が、好きだと言った。その蠅は牛乳を引きずりながらも壜の途中で力尽きるのだと。そして引用した言葉を太鼓の皮をバチでたたいた時の小刻みに揺れる感じの低
い地を這うような声でよみあげた。
<私にもなにか私を生かしそしていつか私を殺してしまう気まぐれな条件があるような気がしたから>と。
わたしはなにげなく天井を見上げる。ビートルたちは気まぐれな条件なのかとあてはめてみる。気まぐれにしては振れ幅が広すぎる。真逆じゃん対岸じゃん。変異しすぎじゃん。
この夏までりそな銀行だったところがあたらしい蕎麦屋で、その上はネットカフェに変身していた。りそな銀行はまぎれもなく上書きされた。雑踏をゆく人々の記憶もそうやって、絶えず変化している。変化していることに、思いを
馳せることがわずらわしいぐらいに。