小説

『ビートルズ』もりまりこ(『変身』『冬の蠅』)

 ゲームという言葉の奥に、すくなからずとも懺悔の匂いを嗅ぎ取ったわたしは耳元がすこしだけ緊張した。

 家に帰るとまず自分以外の部屋のドアノブをひねる。アヴォカドをひねる時みたいに。シャーレーみたいな缶のふたに樹液を注いで朝家を出ると、帰ってきたら、それはどの部屋のものもすっかりなくなっていた。
 弟の足穂の部屋に入る。
<みんなおんなじ、砂糖水みたいな樹液だから。透明なのはみんないっしょ>
 そう心の中で付け加える。弟の足穂はむかし小さかった頃、じぶんがいつも家族の中でいちばん気を遣われている存在でないと我慢できなかった。時々それが態度にでる。ある日、日曜の昼にみんなで三色そうめんを食べていた。すると、足穂はいきなり怒り出したのだ。アンガーマネジメントがおそろしく下手だった弟は、ぼくのお皿には三色そうめんが入っていない。まゆちゃんのは入ってるって。わたしは細いピンクとブルーのそうめんを掬って、奴の皿に移した。めんどくさいおとこ。
<みんなに平等にママは、入れたわよ、食べちゃったの忘れちゃった?しょうがないわね>
って継母も、何本か掬って足穂の皿に付け足した。足穂はみんながぼくよりどこかで得してるって思いから逃れられないそんな気質だったからひとこと付け加えたのだ、今。
 ビートルズ、生きようとしてる。っていうか扶養している気分になってきて、この家族のかたちをどうしたいのかいま迷ってる。

 テレビ画面には男の人がふたり映っていた。
 ひとりの男の人は物を書くことを生業としている人らしい。左隣にいる男の人がどうやらゲストで学者さん。その学者さんの話に耳を傾ける度にその物を書いている男の人の眉間に皺が刻まれるのだ。
 わたしは人の話を聞くという仕事についてから、見知らぬ誰かの話に耳を傾けている様子を観察する癖が知らない間についていた。インタビュー番組ばかり選んで見るようになったのはそのせいだ。先輩リスナーの愛川さんも言っていた。<民放じゃなくてね、公共放送の対談番組とかいいわよ。あの人たちプロよ。聞いてる姿勢がさ、ひゃっぱー聞いてるのよ。身体全体があなたに向かって聞いてますっていう態度。ひゃっぱー聞くってできないことよ。いちどみてみなさい。あたしのイチオシはね、アーカイブスではまっちゃったの。『その時歴史が動いた』の松平アナ。すっごいんだから。さぶいぼたっちゃう>
 そう言うとふーうっと煙草の煙を喫煙室の天井に向けて吐いた。輪が歪みながらも、それでも辛うじて輪ができてわたしの前に一瞬漂うように浮かんだ。
 愛川さんは、しばらくは稼業の青果店をやっていたのだが、ご主人を失くして店を畳んだ。ご主人には娘さんほどの若い愛人がいて彼女の家のバスルームで死んだらしい。

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