小説

『その恋がブージャムだったなら』紗々井十代(『スナーク狩り』)

 「恋を知らない大人なんておかしいわ」
 「恋は魚よ」
 「違うわ。恋はフルーツよ」
 「それじゃ変よ。恋は魚だわ」
 二人がくるくる順番に声を出すと、どっちが喋っているのか、どちらの声なのか分からなくなってくる。
 「僕が知りたいのは、恋じゃなくてブージャムのことなんだ」
 そう言ってみると、双子は滅茶苦茶に笑いだした。
 「あなたは知らないの?」
 「あなたは知らないのね」
 「そんなことは学校でも教えてくれるわ」
 「でもこの人は大人だから。知らなくて当然かもね」
 「そうだわ。大人は学校に行かないもの」
 「きっと大人だから知らないんだわ」
 そのうちついに、赤い双子は手を取り合って回りだし、「知らないのね」「知らないんだわ」と歌い、一つの輪のようになった。
 それから何を話しかけても双子から返事はなくて、いよいよ不気味に思えて、僕はその場を逃げ出した。
 周りの客は誰も双子のことは気に留めない。

 ※

 いくら不気味なことがあったって、僕は働かないといけない。
 今日は営業の出した指示が四つ間違っていて、それをそっくりそのまま下流に展開した僕は四つの間違いを正す羽目になる。クライアントの指示がそもそも間違っていたと営業は言うが、どっちでもいい。仕事量は誰が悪かったところで変わらない。
 「なんだか今日の先輩怖いですね」
 ビルくんが遠慮がちに言う。
 「引っ越したんでしたっけ。その疲れですか」
 まさか変な双子に出会って「ブージャムがどうだか」言われて、実はその前にお前も不動産屋も占い師も同じことを言っていたんだ、なんて馬鹿正直に説明できない。
 きっと頭がおかしいと思われるか、「よっぽどの疲れですね」と言われる。
 馬鹿らしいかもしれないが、例の双子に会ってから、夜もろくに眠れていない。そのせいで仕事への集中力も酷い有様だった。
 僕は曖昧に「引っ越し先は決めただけなんだけどね」とお茶を濁すことしかできない。
 「引っ越しって改めて大変だよ。壁の染みだとか、床のベタベタだとか、続々見つかるんだ。先が思いやられるよ」
 ウンザリして見せると、ビルくんは安心したように笑った。
 「何かを変えるのってエネルギーがいりますよね」
 その言葉に僕は深くうなずく。引っ越し然り。
 転職も然り。

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