小説

『その恋がブージャムだったなら』紗々井十代(『スナーク狩り』)

 「もしもその恋がブージャムだったなら、あなたはきっと消え失せてしまう」
 彼はしらばっくれた冗談を言う人間じゃない。もし仮に冗談だったとしたって、何故その台詞を彼が知っているのだろう。
 僕はあの占いの内容を誰にも伝えていない。アリスにさえ。なんなら不動産屋が口にするまで忘れていた。
 占い師のことを疑ってみる。予め、ビルくんと不動産屋にこの台詞を言えと脅すとか。だけどそれは無いとすぐに思い至る。
 怪しいことがあったなら、ビルくんは僕に教えてくれるはずだし、僕とアリスが三鷹の不動産屋を訪れるなんて、占い師には分かりっこない。
 そして何より、一体何のためにそんなことをする必要があるのだろう。
 そこまで考えたところで、自分がペット用品の棚をぼうっと眺めていたことに気が付く。こんなところに用はなく、買い物カゴにはまだモヤシしか入っていない。
 ところで幸いにも、ビルくんはあれから二度とブージャムなんて口にせず、ケロっと働き続けている。今はそれでいい。考えたって分からない。
 携帯が震えた。
 「ヨシくん。今どこにいるの」
 アリスからの電話だった。
 「ごめん。キャットフード見てた」
 「本当に猫飼うつもりなの?」
 楽しげに彼女は笑った。
 結局僕たちが選んだ新居は、三鷹駅から徒歩七分の五階建てのアパートだった。四階のツーディーケーの部屋で、ペットを飼うこともできる。もちろん庭まではついてないが、広めのベランダはあった。
 「私はキャベツの前にいるから。買い物終わったら合流ね」
 電話は切られた。何故キャベツの前なのだろうか。
 今日の夕飯はスキヤキにすると決めていた。「引っ越し先決定記念パーティー」を二人でするのだ。ぼうっと猫の棚を眺めている場合ではない。
 まずは肉から品定めと、産地やら値段やら見比べていると、
 「知ってる? もし恋がブージャムだったなら、その人は消え失せてしまうのよ」
 「当たり前でしょ。恋がブージャムだったなら、その人が消え失せてしまうに決まってるじゃない」
 心臓が止まるかと思った。
 声のする方を見やると、赤い服を着た二人の女の子が喋っている。恐らく双子なのだろう。どちらも顔が瓜二つだった。
 「ねえ。君たち知っているの?」
 声を掛けずにはいられなかった。果たして周りから見れば怪しいに違いない。
 「それが何か教えてくれないかな」
 僕の言葉に、双子はクスクス笑った。
 「あなたは知らないの?」
 「あなたは知らないのね」

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