小説

『その恋がブージャムだったなら』紗々井十代(『スナーク狩り』)

 「それは」
 僕は素直に答える。
 「素敵だね」

 善は急げと、雨が降る中不動産屋に向かうことを決めた。今日中に引っ越し先まで決めるつもりはないけど、どうせ退屈だったし、二人で賃貸情報を見て考えるだけじゃ途方もない。
 家を出る前に軽く話し合った結果、三鷹の不動産屋を訪れた。三鷹は中央線沿いで家賃が安く、治安もいい。
 もっとも、もしも二人で暮らしたら、という話は互いに前から考えていたので、いざその時となれば、場所の候補くらいパッと出せるのだ。
 「2DKで14万円ですと、大概の場所は選べます」
 不動産屋さんはそう言って、いくつか物件を提示してくれた。白いアパート。茶色いアパート。ペットオーケーのアパート。駅から近いアパート。
 「たくさんあって迷うね」
 アリスは笑った。
 「迷えないよりはいいよ」
 と僕は答えた。
 データだけ見るに良さそうな物件を五つ選んで、後日直接見に行くことを約束した。実際に見ないと分からないフィーリングとか、コンセントの数とか、あるのだ。
 「お二人でお住みになるんですか。いいですね」
 別れ際に不動産屋さんは微笑んだ。
 「まだ社会人三年なのに。早いですかね」
 「丁度いいと思いますよ。お二人が良いと思った時期が一番良いです」
 品のいい不動産屋さんはにこやかに言いつつ、だけど不意に真顔になった。
 「もしもその恋がブージャムだったなら、あなたはきっと消え失せてしまう」
 どきりとした。
 「今、ブージャムがなんとかって言いました?」
 「何がですって?」
 「ブージャムです。今ブージャムって言いましたよね」
 しかし僕が何を言っても、不動産屋さんは分からない顔をするばかりで、隣を見るとアリスは熱心に五つの物件を見比べていた。

 ※ 

 「ねえ。ブージャムって知ってる?」
 「何ですか。それ」
 僕の問いに、ビルくんは顔をしかめた。
 「いや僕も知らないんだけどね。最近よく耳にするからさ」
 まあいいや、と話を切り上げて再びパソコンに向かった。くだらない話に逃避したくもなるのだ。午後八時現在、全くもって仕事に終わりが見えない。
 納品されたポスターの、「八月十五日開催」と書かれるはずなのが、「八月十五日開始」と書かれたために、てんやわんやだった。僕からすればどちらでもいいのだが、一見些細ともとれるミスで業務量は膨れ上がる。

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