小説

『20年前のおやつの時間』岸辺ラクロ【「20」にまつわる物語】

 少しの沈黙が二人の間に流れた後、彼女が何か思いついて言った。
「あ、でも一つあったかも」
「何」
「この話言ったっけ? あたしね、一度ツイッターでこの仕事してることが拡散されたの?」
「拡散? 言ってない」
「そう、あれはねシンガポール行く前だったから八月位なんだけど、その頃はあたしもまだ仕事のとは別に自分のツイッターやってたの」
「うん」
「で、たぶん捨てアカだったと思うんだけど、私のお仕事のツイッターをフォローして、私のプライベートのツイッターもフォローして、私のお仕事のツイートをひたすらリツイートをしてたの」
 彼女の言ってることの意味はよく分からなかったけれど、どうやら彼女の知り合いにだけ、彼女が彼女代行サービスをやっていることを拡散されたらしかった。
「え、それ男がやってたの」
「分からない。でも、社長はたぶん女だろうって、手口が陰湿だから」
「そっか……」
「それでね、私の親友の内の一人が、すごい潔癖な人だったんだけど。なんていうか、この仕事みたいなの、不潔‼ みたいな。彼女にももちろん私がこの仕事してるのばれたのね。で二人でとりあえず会おうってなって私が今していることを説明することになったの」
「私としてはやましいことは何もないし、このお仕事が好きだからって一生懸命話したんだけど、彼女はね、黙ってずっと私の話を聞いて最後に言ったの『私は彩香がしている仕事は理解できないし、するつもりもない』って。彼女とはそれから連絡を取ってない」
 夕日が落ちかけている新宿御苑のプラタナス並木と呼ばれる並木道に出た。裸のプラタナス達が等間隔で、まるで「ポプラの小道」のように並んでいる。傍にあるベンチに二人で座った。
「頭撫でていい?」
 彼女に聞いた。いいよ、と言われたから撫でた。座ったベンチからは芝生に寝っ転がる二人の男と、池が見えた。
 正直に話すと、どうしてそうなったかは覚えていない。なぜ覚えていないのか自分でも不思議なのだが覚えていない。たぶん、僕たちはキスをする前に見つめ合ったりしたんだろう。いやしなかった気がする。僕が初めに自分の頬を彼女の頬に付けて、そしたら彼女が僕の頬にキスをしたのだ。だから僕は彼女にキスをした。そしたらエスカレートして、僕の口には彼女の舌がうねうねと入ってきた。初めてのキスなのに。僕にとっては彼女との。彼女にとっては生涯の。たぶん、ことはそのように進んだ。ぼんやりとしか覚えていない、本当に。
 僕がはっきり覚えているのは、夕日を受けた輝く池と、その手前の芝生で寝ている二人の男がキスをしていたところだ。それを見た時に彼女の頭は僕の膝の上にあって、猫を撫でるように僕は彼女の頭を撫でながら、何でこうなったんだろう、と思っていたことだ。これははっきりと覚えている。

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