小説

『20年前のおやつの時間』岸辺ラクロ【「20」にまつわる物語】

「やっぱ見なきゃよかった。たっくんの前の彼女さんなんて」
 バズーカのようなカメラを持った黒人が、五分咲きの梅の花の瞬間を切り取ろうと右往左往している。文字通り。日本文化を認められたみたいで、なぜだか嬉しい。
「いこっか」
 そう言った彼女の手を引いて、座らせた。
「もうちょっと座ってようよ」
 振り返った彼女の大きな泣きぼくろがかわいい。
「ここ、人通り少ないし」
 うん、と頷いて、沈黙。後から聞いた話だと、彼女はこの時僕がつまんないから黙ってる、と思ってたらしい。好きな女の子の隣に座って、目の前に美しい風景があったらしゃべりたくはない。少なくとも僕は。
「ねぇ」
「ん」
「宮田さんのこと、好きだよ」
 バズーカカメラの黒人が、三脚をたたんで歩きだした。その黒人が立っていたところに、満員電車の端っこの席が空いた時みたいに素早く座る人。今度は白人のカメラマン。ただ、黒人のカメラマンとは正反対の方向を向いていた。彼のカメラの先には、旧御涼亭があった。
 宮田さんは何も言わなかった。行こうか、と言って立ち上がると、彼女は黙って体を押し付けて歩き始めた。彼女の胸の感触はあったはずだけど、その時はもう気にならなくなっていた。
 芝生広場を横目に二人は黙って歩いた。カップルたちが思い思いにレジャーシートを広げて、寝っ転がっている。
「私もたっくんのこと好きだよ」
 不意に彼女が言った。
「そう」
 そう、以外言うことが見つからなかった。彼女の好きだよ、という言葉の後に続く「いい金づるとしてね」という言葉が僕の脳裏によぎって離れなかった。
「そうってなにーーー? もうたっくんのこと嫌い」
 彼女は僕の手を放した。宙ぶらりんになった二人の手。僕は手だけで深海でさまよう魚みたいに、目で追わず彼女の手を探した。探って、ぶつかって、掴んだ。この手を掴んでも放されないのは、一万五千円のおかげ。お金の力は偉大だ。セクハラが消費になる。
 小川にかかった石橋を渡って、涼しい木陰の中に旧御涼亭があった。手を繋いで入ると池と芝生と梅の木が見える。隣には、新大学一年生らしいき女子の三人組がいた。
「ねぇ、これめっちゃ京都じゃない」
「いや、京都ってか、奈良だね」

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