小説

『カウント・オン』木江恭&結城紫雄【「20」にまつわる物語】

【京太郎】
 昨日が28万3499、一昨日が29万512。
 俺の視線はスマホアプリのヘルスメーター、今日はまだ夕方なのに26万を超えていた。
 目を閉じて呼吸を整えようとするがダメだ視界が塞がると鼓動の音で意識が満たされてそれだけでどうかなりそうになる。スマホを尻ポケットに戻し頬をはたいて前を向く。左手の五指にはめた指輪がジャラジャラと音を立てた。
 俺がスカンダ性劇症頻脈F型(SCAT)と診断されたのは生後すぐだったらしいがただちに問題はなく実際問題25年たった今でも直接的な悪影響はない。直接的というのはあくまでも、と左足に走った激痛で思考が遮られた。
 突如の鋭い痛みにバランスを崩し無様に転んだ俺の視界に焦げ茶の球体が映る。栗だ。歩き続けボロ布のようになったスニーカーの底をたやすく貫通したのがこの栗だ。しかしなぜ栗が。深夜の新宿の路地裏に。
 俺は這いつくばったまま左足から棘を慎重に抜き取り、努めて呼吸を落ち着ける。ひーひーふー、ひーひーふ違うこれはラマーズ法というのではなかったか、力んではいけない、涙で滲む視界で先月受けたヨガセラピーを思い出そうとするもセラピーを受ける前に病院を飛び出したのはほかならないこの俺で、先程転んだ拍子に路上に転がったスマホがピコンと「30万回」のアラームを鳴らした。
 俺は路地に横たわったまま諦め半分目を閉じた。南国の少年が乾いた大地を駆けていくような音がする。
 南国? いや俺が行ったのは、確かに海は青く空は広かったが南国じゃなかった。どっちかといえば地獄だ。それでもわずかながら救いがあった、少なくとも俺には。俺にだけは。
 むずかる気持ちで頭を転がすと後頭部が固いものにぶちあたった。生ゴミの腐臭。ゴミ箱か。最悪だ。深く息を吐く。頭がぼんやりとする。
 ――ゴミハゴミバコヘ! 誰かの怒鳴り声、腕を掴む馬鹿力、浮遊感。
 一瞬あと、頭からつま先まで腐臭に包まれて、今度こそ意識を手放した。

【イツカ】
 後ろから喚き声が押し寄せてきて、こどもたちの群れがわたしを押しのけて駆け抜けていった。朝から元気だなあ。右手にぶら下げていたゴミ袋は小さな足と膝に順番に蹴飛ばされて、破れた穴から緑色の汁とえびの殻が飛び出した。うん、そういえば食べたかもしれない。
 左側のビルの窓からおばさんが顔を出してこどもたちを怒鳴りつける。こどもたちはきいっと歯を剥いて人類最強の生き物に果敢に反抗してみせた。わたしもあと30年くらいしたらあんな風に最強になれるのかな。いや無理だ。ところであのおばさん、この間栗くれたひとかな。そういえばお礼したっけな。まあいっか。
 ゴミ捨て場は腐った臭いがした。大きな金属製の共用ゴミ箱にはちゃんと蓋があるのだけど、それでもまあゴミだから腐るし、もしかしてすでに腐ってから捨てられたのかもしれないし。
いつかは何でも捨てられる、腐っても腐らなくても。そういえば今日は燃えないゴミの日。腐らなくても捨てられる日。

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