小説

『箱庭のエデン』沢口凛(『浦島太郎』)

 ここで宇田島の受けた接待が、外部に漏れるとどんな不都合があるというのだろうか。いずれにしろ、自分がこの一流ホテルのスイートに泊まっていることは、誰も知らないということだ。
「他言無用ね。わかった。そこは気をつけるよ」
「その条件さえ守ってくださるなら、いくらでも贅沢な暮らしを謳歌していってください。私も一緒にいさせてもらえるなら、ラッキーです」
 サユリはいたずらっ子のような笑顔で舌を出した。その仕草があまりに可愛くて、抱きしめてしまった。

 夢のように快適な生活は、それから10日間ほど続いた。
 好きな時間に起き、ルームサービスで朝食を済ませる。昼間はテレビで映画を見たり、漫画を読んだり、ホテルのジムやプールで汗を流したり。外出時の移動は同じベンツが用意され、どこの飲食店に入っても料金はかからなかった。ほとんど常にサユリが同行してくれ、毎晩のように彼女を抱いた。
 こんな暮らしがいつまでも続いていいはずがない。数日経った頃には、宇田島は誰に対してのものかわからない罪悪感を抱くようになった。「一生遊んで暮らせる金」を手に入れた人間は、こういう過ごし方をするものなのだろうか。もっとも宇田島の場合は、金を手に入れたわけでもなく、亀山の厚意に甘えているだけだ。とりたてて努力をしたわけでもないのに、甘い汁を吸い過ぎているという自覚が宇田島を責め始めた。
 この生活は、今までくさらずに頑張って生きてきた自分への、ご褒美なのだと考えることにした。受験で失敗し、部活で挫折し、就職もうまくいかなかった。恋愛もからきしだったし、趣味の格闘技も才能のなさに辟易して長くは続かなかった。箸にも棒にもかからないこれまでの人生だったが、自暴自棄になることなく、平凡なフリーター生活を真面目に送ってきた。そんな自分が、10日間だけ、夢を見ることを許されたのだ。宝くじに当たったとでも思えばいい。
 しかしこれ以上ここにいたら、自分が自分ではなくなってしまうような気がした。労働のない自堕落な暮らしに、飽きてきている自分に驚きもした。
「サユリ。もうそろそろ、俺は家に帰って元の生活に戻るよ」
 11日目の朝にそう告げたとき、サユリは心底悲しそうな目をした。
 考えてみたら、サユリとの関係はどうなるのだろう。まがりなりにも恋人同然の生活を10日間も送った相手だ。彼女とももう会えなくなってしまうというのか。
「いつかそういう日がくるとはわかっていたけど。いざとなると淋しいものね」
「俺が元の生活に戻っても、また連絡するからさ。これからも会おうよ」
 サユリは宇田島の浅はかな提案に悲しげな顔を見せ、首を横に振った。

1 2 3 4 5 6 7 8 9 10