サユリが洗面所から出てきて、ベッドに腰かけた。化粧は済ませたようだが、まだバスローブを着ている。
「仕事のことは心配しなくていいって、亀山さんが言ってたよ」
「心配しなくていい?どういう意味だろう」
「もう、当分出勤できないって連絡が行ってるんじゃないかな」
「俺のバイト先に?そんな勝手なことされても困るよ。第一、俺がどこで働いてるかなんて、話した覚えないよ?」
「そんなの隠したって無駄よ。言ったでしょう?私たちみんな、亀山さんの掌の上にいるって」
自分が何者で、どこに住んでいて、どんな生活をしている人間なのか、あの亀山という人はすべてお見通しということか。今さらながら宇田島は恐ろしさを覚える。
「好きなだけ、この部屋に泊まって過ごしていいみたいよ?昨日のお店に来てくれれば、食べたいものは何でも用意するし、私でよければいつでも身の回りのお世話もします。部屋で必要なものがあれば、ゲームでも漫画でも、何でもホテルの人間が用意するって」
「すごくありがたい話だけど…。俺はそこまでしてもらうほどのことをしてないよ」
「亀山さんにとっては、『命の恩人』なんだもの。出来る限りのもてなしはしたいんでしょう。こんなぜいたくな暮らし、一日で終わりにしちゃうのはもったいないよ?」
確かにそれもそうだ。亀山が「好きなだけ」と言ってくれているなら、その厚意に甘えるのも悪くない。
しかし、サユリは意味ありげに笑みを浮かべてこう言った。
「でも、一つだけ条件があるの」
やっぱり。こんなに都合のいい話があるはずがないと思っていたのだ。
「条件ってどんな?」
「宇田島さんが亀山さんから受けた接待については、絶対に口外しないこと」
「口外しないこと?ああ、それなら大丈夫だよ。幸い、友達もほとんどいないような孤独な男だからね、俺は」
「宇田島さんが、昨日からのことを誰かに話したり、メールで教えたりするのはもちろんダメだし、昨日食べた料理の写真を誰かに見せたり、ネットに上げたりしたら、その時点でアウト」
「アウト…?」
「アウトになったら、どうなるのか。それは、私もはっきりは知りません。怖いことになるのは確かだと思います」
亀山さんの権力を思うと、その先はあまり想像したくない。
そういえば昨夜、これまでの人生で見たこともないような高級料理やシャンパンタワーを前にして、興奮のあまりずいぶんたくさんの写真を撮ってしまった。あれを誰かに見られないように気をつけなければならないということか。