夫の話を簡潔に述べると、汚いあばら家で小説を書こうとしても、背後に虫がいるような気がして集中力にかけてしまう。それで毎日、図書館に通って本を読み漁っていたおり、小説に書かれていることは現実に起こりうるのかと疑問が湧いたようで、気になって仕方ないと後頭部を掻いていました。私は夫に有名なことわざを伝え、現実が小説よりも不思議で面白いこともあれば、書きようでその逆もあるのではと話をしました。
「さっちょん。俺さ、もう確かめねえと気がすまないんだわ-」
「え?」
「マジで最強の作戦、思いついたのよー。あのね――」
気をもむ素振りから一転して、頬を紅潮させ接吻間近の距離で熱く語る夫の作戦は一筋縄ではいかない内容でした。小説を再現することだったのです。作品も決めているようでした。
夫はバックから本を取り出すと「読んでみー、これはいけるでしょ」と私に一冊の本を差し出しました。太宰治の『ヴィヨンの妻』でした。恥ずかしながら文学作品には疎く、今回初めて読んだのですが、短い文章のなかに妻を軸とした様々な人間の想いが込められているようで、心が揺さぶられました。
「さっちょんは、頭いいから何でこれ再現するかわかったでしょ!」
「いや……ちょっと」
「あのね――」
高尚な理由であることを、幾ばくか期待しましたが予想通りの理由でした。登場人物の名前や家族構成でした。苗字が大谷で夫婦間の年齢差は四歳、坊やの年齢やあばら家住まい、夫は裕福な出自で高校中退時に勘当されている過去があります。私の名前は大谷幸子(さちこ)ですので『椿屋のさっちゃん』になりうる要素がありました。そして夫が「で、あいつも俺もおぉ、あぁー小説家―!」と歌舞伎役者の口調で付け加えました。そこだけひっかかりを感じましたが、おおむね酷似していました。
「今日から、さっちょんはさっちゃんな! ユーアーオーケー?」
「…………」
いろんな意味で返事ができませんでした。夫の英語力には目を瞑るとしても、小説を再現するには意思を捨て意志を貫く心構えが必要に思います。その意志がよくわからないのですから序盤での破綻が目に見えていました。言葉を返せず時間だけが過ぎていきました。
「さっちゃん。俺ら何のためにここに引っ越してきたと思う? このままじゃ何も書けないでしょ」
「う……」
突然、さっちゃんと呼ばれて驚きましたが、やはり九州に越してきた理由が重くのしかかりました。夫が小説を書くために家族三人でまいりましたので、最低でも一冊は書いてほしいと願っていました。