小説

『最上階の女』芹井日緒(『ラプンツェル』)

 その時、急に空模様が変わり酷い寒気が流れ込み始めた。開け放たれていた窓からは、大量の雨が降りこんでくる。そして、私は背筋がぞくぞくっとするのを感じた。

「おばあちゃん、こんにちは」
「はい、はい、こんにちは」
 小さな手が私に差し出され、ぬめっとした湿り気のある感触が私の皮膚に覆いかぶさる。最近、魔女がケチってお手入れの品も渡してくれないものだから乾燥してしまっている手には、この小さな手の感触にすら何だか恨めしい感情しか湧かない。勝手に人に触るのは、どうにも勘弁して欲しいものなのに。
「まだお話が出来る状態で。良かったわ、おばあちゃん」
 さっきから、おばあちゃん、おばあちゃんとうるさいったら。確かに私は人より長く生きているけれど、あなたたちにそう言われる筋合いはないはずだ。それにしても、こんなに若さを保っている私に何て不躾な人々なんだろう。それに、私が会いたいのは、こんな下々の女たちではない。訪れてくれるのは、あの王子さまだけでいいのに。
「何か欲しいものはない?」
「次は、王子さまを連れてきてね」
「分かりましたよ」
 下々の女にしては気が利くわ。きっぱりとした良い返答に久しぶりに私は嬉しくなる。
「葵さん、嬉しそうですね。やはりご家族がいらっしゃると違うのねえ」
 魔女がそう言いながら入って来る。それに従って、色違いの帽子とマントを身にまとった女たちが続いてくる。魔女の見習い達だろうか。今日は一体何の日かしら。これ程、塔の最上階に人口が密集したことは、今までにない。その所以か、部屋中が息苦しく重たく感じる。そうよ、お願いだからこれ以上人口を増やさないで欲しいわ。全く魔女はこの私の気分も考えず、何をするつもりなのだろうか。
「先生、こちらです」
 その時だった。背の高い人影が現れた。その人は白いマントを身に纏った、そう、あの王子さまなのだった。私はこの素晴らしい展開に驚いた。
「葵さん、こんにちは」
「こんにちは、王子さま」
 彼は私に手を差し出した。それは、さっきの小娘の手とは似ても似つかぬ滑らかな心地がした。
「お加減はどうですか?」
「最高よ!」

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