小説

『最上階の女』芹井日緒(『ラプンツェル』)

「そんな事はありませんよ、葵さん」
 さっきから、葵、あおいと連呼しているが、私はそんな名前ではない。ちゃんとラプンツェルというオサレな名前があったはず。そんな簡単なことも間違えるようでは、この魔女の魔力にもそろそろ限界がきたのであろうか。
「王子さまが来ないもの」
「そうですね、今夜は無理かもしれません。だから、もう寝ちゃいましょう」
「雨の音がうるさくて眠れないの」
「そうですね、最上階ですから、音もよく聞こえるのかも知れません」
ここは、10階建のマンションの最上階なのだと魔女は教えてくれる。塔の下の階に住んでいるのは、私に仕える身分の卑しい者らしい。最上階に幽閉された、私は悲しい姫なのだ。
「でも、きっと明日は晴れますよ。天気予報がそう言ってました」
 魔法の杖を振りかざすと、魔女には明日の天気も見えるらしい。それでも、今日の私はこれでお役御免らしい。雨が降っては仕事はもうない。薬の作用か、眠りというよりぼやんとした空気に包まれていく感覚が私を襲う。再び、私は眠りに陥る。今度は先程より、ずっと深く、深く。

「おはようございます」
 翌朝、魔女が又ドアを開けて現れた。
「葵さん、良かったですね。雨が上がりました」
「雨が上がっても、何もすることがないわ」
「そんなことありませんよ、葵さんはまだまだ若いですし、今日は体操教室などに参加してみましょうね」
 ―まだまだ、おまえはひよっこだね、修行が足りないよ
 魔女が私に囁く。だから、身体を鍛えて、次の仕事に備えなければならない。ああ、なんてこと。私はもう何もしたくないと言うのに。無理やり、小鳥の巣のような藁の寝床から連れ出されて、私は躊躇する。何を着たら魔女の気に入るのか分からなくなったからだ。
 以前は、女性らしい胸の開いた衣装などもよく着ていた。最近は、露出を控えめにしている。魔女からきつい咎めがあるからだ。きっと私が自慢の胸を出すのを、快く思っていないのだろう。肝心な時まで、それは隠しておくようにとの意図かも知れない。
「首周りは、特に冷やしてはいけません。首を冷やすのは万病の元ですよ」
 あくまでも控えめに、そそとした繊細さを醸し出しながら、美しくしていなければならない。何てつまらないこと。私はいつだって曲線美を露わにしていたいのに。それなのに、長い髪で身体のラインを全部隠してしまうなんて、おお、なんてつまらないこと。

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