小説

『最上階の女』芹井日緒(『ラプンツェル』)

「そういう場面にならないと、お見えにはなりません」
 アマガエルになった百姓女の方はどうでもいいが、そっちの方はすこぶる残念なことだ。王子さまが救急という名の国からいらした方で、滅多においでにならないと魔女は説明する。彼を呼ぶには、きっと魔女の竜笛が必要なのだろう。その使い方を教えてくれるよう、私は魔女にお願いをしてみた。
「どうやったら、あの王子さまはいらっしゃるの?」
「葵さんに急なことでも起これば、或いは、ここにおいでになられるかも知れませんね」
 魔女は意地悪そうな灰色の目をぐりぐり回しながら呟く。おお、なんてことかしら。私に何が起こるというのかしら。王子さまに会えないのも辛いけれど、何か起こるのも恐ろしい。長く生きてきたけれど、今までこんなに切ない気持ちになったことはなかった。魔女の言う通りに、幾人もの王子さまをたぶらかしてきても何の良心の呵責も芽生えなかった。それなのに、今のこの戸惑いをどう表現したら良いのだろう。
 それでも、魔女が窓をバタンと閉じてしまうと、静けさが塔の最上階を再び包み込む。その静けさが、シエスタの時間であると告げる。今日は朝から色々な事件があったのだし。私は疲れてベッドに横になった。

 ―あの日から、やはりあのお方は現れない。普通の王子さまならば入れ替わり立ち代わり現れていらっしゃるのだけど。安らかな眠りは、あの日から訪れていない気がする。何をしていても、どうしても、あの方が気になってしまう。欝々として、心乱れる日々が続く。これを病気というのに違いない。食欲も湧かないので、近頃は下の階での食事もよすことにした。渋々魔女は、忘れ草を煎じたスープなどを部屋に持って来てくれる。
「葵さん、お加減はどうですか?」
「少しもよくなくてよ」
「まあ、そんな事をおっしゃらずに。お食べにならないといけません。それから、少しは運動もなさらないと、プロポーションを保てませんよ」
「もう十分スタイルも良いはずだわ。まだ、体操などして引き締めなければならないの?」
「食べて運動しなければ、益々弱ってしまいますよ」
 あのお方が見えないなら、元気になってもしょうがないじゃないの。魔女の癖にそんな事もわからないのだわ。私は、はーっと憂いのため息をつく。やはり、もうこうするしかない。私はこれでも馬鹿ではない。どうしたら王子さまに再び会えるのか、じっくり考えて出た結論がこれだ。
「ねえ、お願い、最近は窓を開けてくれないのね。窓を開けてよ」
 魔女は困った顔をするが、とうとう私のわがままを聞き入れる覚悟をしたようだ。

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