小説

『最上階の女』芹井日緒(『ラプンツェル』)

 私は今日も、窓の外を眺めていた。窓の外は雨。夕べから降り続く雨は決して止まないぞと言っているかのように、断続的に強くなったり弱くなったり。こういった降り方は、全くもって非礼だ。雨の終わりを待っている者にとっては、特に。
 ―なんて失礼な雨なんだろう
 独り言のように呟くと、ポットの湯を沸かすために私は立ち上がった。せめて飲み物で身体を温めておかないといけない、ふとそう思ったからだ。サモワールに手を掛け・・と洒落乙に言いたいところだが、それは叶わないようだ。ここにあるのは、ちっぽけな白いヤカンだけ。その上部にあるボタンを押すと赤いランプが点灯し、それが消えると沸いたという合図になっている。
 昔は、たしか石油ストーブの上に飴色のヤカンを置いて湯を沸かしたものだ。いや、石油なんてものは当時あるはずがない。そう、薪木だ。薪木を燃やして部屋を暖め、そのついでにお湯も沸かしたのだ。だから、昔使っていたのは薪ストーブだったのだなと思い返す。最近の私は、長く生き過ぎた所為か、ところどころ時代設定がずれてしまう。仕方のないことだ。何しろ、長生きしてきたのだから。
 それでも、この種族の中での私の立ち位置は、ひよっこでしかない。そう魔女に教えられてきた。
 ―お前はまだまだひよっこなのさ
 ひよっこの頃から人生に飽き飽きしてしまっているところは、昨今の小学生とたいして変わらないのかも知れない。何かちょっとの事で彼らは失望する。体育の時間で上手くいかなかったり、教室で笑いものになったり、塾の抜き打ちテストで良い点を取れなかったり、そんな些細な事ですぐ死にたくなってしまう現代の可哀想な子供達・・・大人になっても、その悩みは尽きる事がない。受験、就職、そして年金・・・生きて行く事は、いつの世も戦争なのだ。生まれ落ちた場所が楽園でないのを、野生の動物たちはとうの昔から皆知っている。そんな妄想をいだいて生まれるのは、悲しいかな人間の子供だけなのだ。
 それにしても、雨は止まない。雨が止まないと、今夜も王子さまは私の部屋を訪れてくれない。切ないし、なんて手持無沙汰なことだろう。雨の夜が嫌いなのは、ひと昔前の歌の中の少女だけではない。星に願いをかけることすら許されないとあっては、末端冷え性で縮こまった身体を、無理やり温めて寝てしまうしかない。
 お湯が沸いたようだ。サモワールから(おっとまちがった)電気ケトルからお茶を注ぎ、ショウガ湯を飲む準備をする。万が一、昔の調子で急いで飲もうとすると、これがまたいけない。長く生きている間には、舌も唇も弱くなってきたのか、すぐ火傷をするからだ。それなので今日の私は、落ち着いて一口々味わうように飲む干す。じんわりと温かさが身体に広がっていく。
 私は魔女ではない。その証拠は、時々訪れる本物の魔女が教えてくれる。彼女の容貌は紙に書くのはおろか、口にするにも怖ろしいほどだ。縮れた赤い髪、メデューサのようにかっと見開いた灰色の目、何が可笑しいのか分からないのに不気味な微笑みをたたえた赤い口。そのどれをとってみても、言葉にするのすら遠慮したくなる。今日は魔女のことは思い出さないようにしよう。何しろ雨の夜だ。

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