小説

『銀の鱗と蝋燭と』もりまりこ(『赤い蝋燭と人魚』『浦島太郎』)

 点の上に立って、つぎの点へと石段を飛ぶように、跳んでみる。
 ふくらはぎから腰、背中のあたりにとてもやわらかなばねが備わっていることを、わずかに信じて。
 それをなんどもなんども繰り返す。
 あの点のむこうのほうにとても大事なものが待っている気がして、そこまでたどりつくまで、跳躍を続けようと思いながら。
 だいじなものって? こころのなかで言葉が響く。
 だいじなものって・・・。

 そうやって、たったひとりで跳ねるスキルを磨くべく、励んでみたりした。
 海の中で聴く音は、ぶわぶわっと聞こえる。
 耳がとつぜん遠くなったみたいになることが面白くて、そんなことを繰り返していたある日、溺れそうになっていたわたしを助けてくれた太郎と出会った。
 白髪の太郎は、「きみを助けてあげてもいいよ、でもひとつだけ約束してくれないか?」と幼子だったわたしに訊ねた。
 太郎の髪の毛は確かに白っぽかったけれど、身体はなんとなくみなぎっていた。そして声が好みだった。少し掠れていて、喉ぼとけが船の錨みたいに上下した。
 太郎はわたしの目を見て少しだけ、腰から下に視線を移動した。それでもなにごともなかったかのように、云った。
「たとえば、きみを助けたとして恩を仇にして返すとかしない? ぜったい?」
 おんとか、あだとか。わたしははじめて聞いた言葉だったけれどその音からいって、とても心地よさそうだったので、わからないままに取引に同意したくなっていた。
 わたしは幼子だったけれど、こころはすでに幼子ではなかったのだ。
 それに太郎があんまり困っていそうだったので、うんうんとただ首と尾びれをひらひらさせながら、頷いてみた。
 その顔を見ていた太郎は少しほっとしたような笑みを浮かべた、と、思ったらなにかを急に思い出したかのように畳みかけた。
「それと、もうひとつ。玉手箱とか持ってないよね? どっかに隠してたら僕はもう君を助けてあげない。わかった? 知らないと思うけれど僕は玉手箱のトラウマがあるからさ」
 そう云いながらわたしの肩に手をすっと掛けて、うしろを振り向かせた。
 大丈夫そうかな、今回は、ってひとりごとが聞こえてきて、わたしの肩に手をふれるとくるりと前を向かせてくれた。

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