小説

『銀の鱗と蝋燭と』もりまりこ(『赤い蝋燭と人魚』『浦島太郎』)

 人間と出会うのは産まれてはじめてだったけれど、太郎はわたしの身体のどこにも疑問がないような眼差しでそこにいた。こんなきらきらする鱗だらけの下半身をもったおんなのこなのに。面倒くさい質問をしてくることはなかったところも気に入った。それはここちよかった。
あなたの人生になにがあったの? って聞いたほうがいいのかどうなのかわからないので、もじもじしていたら太郎は話し始めた。
「もう、たくさんなんだ。ほんとうは人助けみたいなこと。この間なんかつい亀を助けたばっかりに、いきなりこんなになってしまってさ」って太郎はじぶんの髪の毛をすこし束にしてみせてくれた。
 きれいな純白だった。ところどころに銀色がまじっているような。
「そりゃ、俺も悪いよ。開けるなって云われた玉手箱開けた俺もまぬけだけどさ。開けるなっていわれたらふつう開けるでしょ。見るなって云われても見たくなるでしょ。たぶん善良な市民9割はそうかなって思うけど」
 わたしは<玉手箱>がなにものかもわからなかったけど、太郎の話では、その箱を開けたせつなその箱から煙がもうもうと出てきて、彼は一挙に歳を取ってしまったらしい。
 さいわいなことに太郎が年老いたのは、髪の毛だけだった。
 でも、どんなに日々を重ねようとも、白髪しか生えてこないと嘆いていた。
 だから、むやみやたらになにかを助けたくないのだと。
 助けられた亀は助けてくれたお礼にと、<竜宮城>という場所へ亀の背中に乗って案内されて行ってみたらしい。
「あの時、断ってさえいればね」
 かなり後悔している時の癖なのか、右手で左腕あたりを摩りながら呟いた。
 好待遇の日々を送っていてある日、美しい女の人へと姿を変えていた亀は、太郎を誘惑して、ほねぬきにされたんだと聞かされた。
 慰めの言葉もなかったけれど、わたしは太郎に囁いた。
「わたしは亀じゃなくて、人魚だから、だいじょうぶ」

<夏の終わりには暖流がカリブ海の外来種を運んでくる。チョウチョウオやエンゼルフィッシュや・・・。>
 太郎の好きなアメリカの刑事ドラマの台詞だった。
 太郎はこれをなんどもなんども繰り返し聞くのが好きらしい。
 わたしはこの台詞のあとに、声を重ねる。
「エンゼルフィッシュや産み落とされた人魚もね」って。
 わたしは数年前に、烏帽子岩のいちばん尖ったところのちょっと下あたりの平らになっている場所に置き去りにされた。
 人魚の嬰児を産んだのは、人魚だった母だ。

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