小説

『笠地蔵と飯盛女』宮城忠司(『笠地蔵』)

「ときに(とりあえず)アカネの栽培から販売まで、平蔵さんに任せるずら」
 ひたすら恐縮して、おせんを正面から見ることのできない平蔵だった。
 おせんは心の中でお地蔵さんに感謝していた。
「お地蔵さんは賢いずら。平蔵さんの記憶を、余計なことだけ吸い取ってくれただに……」

 そんな会話をこっそり聞いていたお婆さんは、お爺さんを急かせた。
「お爺さんや。平蔵さんは良い人だな。お地蔵さんが、おせんの婿にとつかわせたずら。春を待たんと夫婦にどうかや?」
 お爺さんも平蔵が気に入っていた。
「そうやのう。おせんに聞いてみるずら」
 お爺さんは単刀直入におせんの意向を問うた。
「平蔵を婿にと、お婆さんが言っとるずら。おせんの気持ちはどうや?」
 それを聞いたおせんは顔が赤らんで胸がドキドキ波打った。飯盛女として千人以上の男と寝たおせんだったが、こんな気持ちは初めてだった。
「お爺さんとお婆さんに任せるだに!」
 おせんは、そう言って奥の部屋に駆け込み布団をかぶった。その夜は胸がときめいて、恋が成就するかも知れない喜びで一睡もできなかった。
 翌朝、お婆さんが平蔵を外に呼び出して言った。
「平蔵さん?うちの娘と夫婦になってくれんかのう」
 平蔵にとって、おせんは高値の花である。異存の余地もなかった。その夜に簡単な祝言が執り行われた。
 新緑の季節を迎え、お爺さん、平蔵、おせんは山に入り雑木林を焼いて稗や粟の種を撒いた。野良仕事が生に合っているおせんは健康を取り戻し、陽を浴びて真っ黒になって働いた。段々畑にアカネの白い花が一面に咲いた。晩秋の取り入れが待ちどおしいおせんと平蔵だった。
 孫が生まれたのを契機に、お爺さんお婆さんは隠居をして子守が仕事となった。平蔵は生薬の茜草(せんそう)を売るかたわら、残ったアカネを染料にし、染め工房を町で作った。茜色に染まった絹の反物は好評を博し、飯山藩のお殿様に献上するまでになった。貧しい百姓の助けになればとの思いが強い平蔵は、数十人の奉公人を雇い入れて給金を支払っていた。当時としては大変に珍しいことだった。
 その後、三叉路にお地蔵さんが並ぶことはなかった。それでも毎年の晦日には、お爺さんとおせんは連れ添って、編笠と粟餅を六個分お供えし続けた。お爺さんが『七体めの地蔵さんは、平蔵に間違いないずら』と、断言したからである。
 アカネの種を欲しがる人々が後を絶たなかった。しかし不思議なことに、他所で芽を出すことは皆無だった。お爺さんが貧しいながらも、先祖伝来守り続けた南面の段々畑だけに、毎年アカネの白い花が咲き誇った。

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