小説

『笑い顔の怪人』小笠原幹夫(『怪人二十面相』)

 笑い顔が可愛い女の人は、ほんとうの美人といえないかもしれません。たとえば女優さんなどは、少なくとも舞台やスクリーンの上では、ニヒルで、無表情で、冷たい感じのする人が名優ということになっています。しかし、実生活の上では、「男は度胸、女は愛嬌」――。ツンとお高くとまった貴婦人よりも、朗らかで、気の軽い、取っつきやすいおねえさんのほうが、やすらぎと、なぐさめを与えてくれるものなのです。
 あれは、わたしが有楽町駅の近くの小学校にかよっていたころですから、昭和四十年前後のことです。同級生に、ミワ子さんという笑い顔の可愛い女の子がいました。ミワ子さんの家は、歌舞伎座の裏のへんで、染物・洗張あらいはりの店をやっていました。
 ミワ子さんは、けっして人形のように美しい少女ではありませんでした。色はたしか黒いほうだったでしょう。丸顔で鼻のあまり高くないでしたが、ただ、眼だけは一度見たら忘れることのできぬほど、素直であどけなく可愛かった。ことに、お河童の頭を振りながら、少し胸をそらし気味に、きらりと糸切り歯を輝かせながらの笑い顔は、どこかお伽噺めいて見えるほどでした。
 そのころのはやり歌にも、キミの笑顔がステキだねというような文句があふれ、三波春夫の「東京五輪音頭」や、島倉千代子の「からたちの花」や、梓みちよの「こんにちは赤ちゃん」が流れ、世の中は浮き立っていました。とにかく、二、三十人いた女友達のうちでも、ミワ子さんの笑顔は特別の待遇をもって、ませっ児だった、わたしたち男子生徒の間に受け入れられていたのです。
 最上級生になったときのことです。わたしたちの学校は、十月に学芸会が開催されますが、わたしのクラスでは探偵劇を出し物にしようと、衆議(しゅうぎ)が一決しました。というのは、当時、江戸川乱歩の「少年探偵団」シリーズが少年雑誌に連載され、何度となく映画化され、ラジオドラマになって、「ぼッ、ぼッ、ぼくらは少年、探偵団……」という主題歌が巷に流れていたのです。少年探偵団ゴッコなんていうものまでありました。そこで、この探偵団ブームに乗って創作劇を上演しようと思いたったわけです。
 上演のために何度も学級会議がひらかれ、台本は文学少女のヨウ子さんにまかせられることになりました。配役は、名探偵明智小五郎にクラス委員だったわたし、小林少年には、築地警察で柔道をならっていた豪傑少年の誠一郎、誘拐される被害者の女の子には新橋の料理屋の娘のマサエさん、そのほか少年少女探偵団のメンバーが割り当てられました。
 誘拐芝居になったのは、当時、人さらいというのが一種の流行語で、実際に児童誘拐があったらしい。やれ神かくしだとか、人さらいが幼い子供を連れていって、サーカスに売ってしまうだとか、男の子は角兵衛獅子かくべえじしにされてしまうだとかいう話を、わたしたちは耳にたこができるほど聴かされたものです。学校でも、ひとりで外で遊んでいてはいけない、遠っ走りをしてはいけないと、くり返し朝礼のときなどに教えられました。

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