小説

『笠地蔵と飯盛女』宮城忠司(『笠地蔵』)

 陽射しが強くなり雪が溶け始めると、フキノトウが芽を出し藪椿が花を付け、コブシが谷を白い花で染め始めた。そのうちにエリカの花も咲くだろう。宿場町で陽射しを仰ぐことを禁じられていたおせんは、日一日と野山が萌え始めるのを目の当たりにして心が弾んだ。
 そして平蔵からもらったお守り袋と中に入っているアカネの種を思い出した。おせんは、何も訊かずに娘として優しく接してくれているお爺さんとお婆さんに恩返しがしたかった。
 晩秋にアカネの根をほじって水洗いをし、天日干しにしたものを生薬の茜草(せんそう)と言った。主に婦人病の特効薬として珍重された。また、消炎作用が強く咳止めの効能薬でもあった。
 アカネの名前の由来は、根を乾燥したものを灰汁で煮だすと、朝焼けの陽の色になる。染色材として万葉の昔から「茜さす」と形容された。土地好みが激しい植物なので、どこにでも栽培可能な薬草ではなかった。
「もしもアカネが芽を出したら、お爺さんお婆さんの助けに成るかもしれない」
 おせんはお爺さんから鍬を借りて、南面の段々畑にアカネの種を撒いた。よほどの好条件に恵まれたのであろう。秋口には段々畑がアカネの白い花に覆われた。後は花枯れを待って、お爺さんお婆さんと根を掘り起こして乾燥すれば良かった。漢方薬、茜草(せんそう)の完成である。
 お爺さんは寒風が吹き始める頃に天秤ばかりをたずさえ、生薬、茜草(せいそう)を売りに町へ行った。その日の夕方、お爺さんは満面の笑顔で戻って来た。お婆さんに着物と鍋。おせんには絹の反物を買い込んで、背負い子を満載にしてのご帰還である。「茜草」は高値で午前中のうちに売れたそうである。おせんは、お爺さんお婆さんと手を取り合って喜んだ。
 取り入れの終わった段々畑の整備をしているうちに雪が降る季節になった。大晦日を翌日に控え、お爺さんは餅を買いに町へ下りて行った。おせんとお婆さんは家の掃除と正月料理の支度である。

 平蔵は高崎からの帰り道、碓氷峠でおいはぎに会って身ぐるみはぎ取られた。売上金や薬草箱の全てである。ふんどしにくくり付けていたわずかなお金が越中へ帰るまでの旅費で、ずいぶんと心細いものだった。越中高岡へ無事に帰り着いたとしても、店に損害の賠償をしなければならず、それを考えると、平蔵は旅を続けることすら億劫になっていた。
 北国街道を北進して、平蔵はいつもの帰り道ではなく、飯山街道から妙高へ抜ける道を選んだ。飯山の城下町から急に雪が深くなった。明日は晦日である。風雪をしのぐあばら家でもないかと、平蔵は必至で探した。三叉路でお地蔵さんが六体雪かぶって立っていた。
「こんな処に地蔵さんが……。珍しいこっちゃ」

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