小説

『終戦花見』清水その字(古典落語『長屋の花見』)

「何年か前、落語で聞いた言葉さ。貧乏長屋の連中がさ、お茶を酒のつもり、沢庵が卵焼きのつもりってことで、それで花見をやろうって話だった」
 それを聞いて吉澤も合点がいった。一膳飯ばかりの毎日を送っている以上、誰しも似たようなことはやっただろう。つまり一杯の飯を豪華な食事だと自分に言い聞かせ、腹にかき込むのだ。そのうち一膳飯にも慣れてくると、馬鹿馬鹿しくなって止めてしまった。
「つまり花がなくても……」
「咲いてるつもりで。それが、気で気を養う」
 よくもまあそこまで馬鹿馬鹿しいことを考えたものだ。とはいえ、飯でできたことが花でできないことはない。どうせ戦争は負けたのだし、少しくらい馬鹿になってもいいような気がする。他にも誰か誘うのか、と尋ねようとした吉澤だが、すぐに無駄だと気付いて止めた。いくら暇だからといえ、そんなくだらないことに付き合うには自分と、先ほど名が出た有島くらいのものだろう。だがどうやら戦友は本気のようだ。
「俺たちが今までろくな物食わないで頑張ってきたのも、戦争に勝つためだろ。それなのに負けちまいやがって。負けたら負けたで相変わらず飯はひどい有り様だ。無理にでも楽しみを見つけなきゃ、余計に馬鹿馬鹿しいじゃないか」
「ああ、こうなりゃヤケだ。行くか!」
 吉澤が疲れ目を擦りながら立ち上がると、村上は「よし!」と叫んで踵を返した。



 テントの外では強い日差しが、刺すように照りつけてきた。しかし真夏とはいえ標高千三百メートル、風は冷たい。今しがた彼が入っていたテントは自然の一部として、周囲の野原に溶け込んでいた。空から敵に見つからないよう、天蓋に木の葉などをつけてカモフラージュしてあるのだ。重要施設がない野辺山は敵の爆撃目標にもならないが、念のためこのような偽装は行った。それも敗戦によって、もはや用のない努力となっている。
 外で待っていた有島が、瓶の中に木の枝を突っ込み、一生懸命にかき回していた。中身は水と、何やら刻んだ草らしきものが入っていて、その汁でうっすら緑色に濁っている。細切れになった緑色の葉が水の中で踊っていた。
「何を作ってるんだ?」
「はは、ヨモギを水に混ぜてる」
 丸顔をほころばせ、有島は答えた。顔は丸くても、体の方は少ない食事と猛訓練でやせ細っていた。それでも常に笑顔を絶やさないのがこいつの良いところ、と吉澤は思っているが、予科練では「ツラが腑抜けている」という理由で鉄拳制裁を食らうことも少なくない。敗戦でもうその心配がなくなったせいか、こころなしか今までより楽しそうだった。だが千切ったヨモギを水に入れてひたすらかき回す作業は、側から見て何が楽しいのかまったく分からない。

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