小説

『終戦花見』清水その字(古典落語『長屋の花見』)

 長野県・野辺山高原。標高千三百メートルを超えるこの土地はかつて馬の産地として知られ、やがてはハクサイなどの野菜が広く栽培されるようになった。戦前にはすでに鉄道も通っていたが、それでも下界とは隔絶された土地という雰囲気が残っていた。夏場は比較的過ごしやすいが、冬になると八ヶ岳おろしと呼ばれる寒風が吹きすさび、極寒の地と化す。加えて水の弁も悪く、好んで移住したいと思えるような環境が整ったのは戦後、別荘地として人気が出てからだ。
 同じ長野県内には『日本で最も海から遠い地点』が存在し、海という存在とはまったく縁がないように見える。しかしそのような土地に、海軍の秘密基地があったことはあまり知られていない。



 昭和二十年八月十九日。
 狭苦しいテントの中で、吉澤はひたすら小さなガラスを削っていた。今年で十八歳になる彼は、まだ少年のあどけなさが残る顔立ちだった。時折頰に点在するニキビを掻きながら、レンズ状に成型されたガラスの淵を、カミソリで削る作業に没頭する。その様子を見て、彼が軍人だと分かるものはほとんどいないだろう。いくら着ているのがカーキ色の軍装であっても、三等飛行兵という階級を持っていても、その行動はあまりにも軍人の仕事とはかけ離れている。だが今加工しているアクリルガラスは元々、墜落した軍用機の風防だった。特に使い道のない代物だったが、加工すれば腕時計に使えるということに最近気付いたのである。
 ある程度削っては、それを腕時計にあてがう。円形に削ったレンズは一見文字盤と同じ大きさだが、実際にはめようとしてみると何処か出っ張っており、しっかりと収まらない。その部分を削り、再び装着を試みる。吉澤が手に痛みを覚えてきた頃、パチッと良い音がしてガラスがはまった。昨日からこの作業を続けてきた彼は満面の笑みを浮かべ、息を吐く。航空機用のアクリルガラスは頑丈なので、『ガラスの割れない腕時計』を作れるというわけだ。
 とはいえ、このままでは表面が細かい傷などで曇っており、文字盤も針も見ることができない。今度はひたすら磨く作業が始まる。吉澤は疲れなど存在しないかのように、ボロ布を手に取った。
 研磨剤の歯磨き粉を探していると、表から足音が近づいてきた。ひんやりした風と共に入ってきたのは見慣れた顔だった。
「よぉ、時計屋。順調か」
 冗談めかしてそう言う彼も、同じく軍装の若者だ。背が高くひょろりとした体格だが、その怒り肩からは厳しい訓練で鍛えた筋肉が見て取れる。目つきはぎょろりとしたどんぐり眼だ。

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