小説

『終戦花見』清水その字(古典落語『長屋の花見』)

「後は磨くだけさ」
 腕時計にしっかりとはまったガラスを見せ、吉澤は得意げに笑う。ひょろ長の若者も笑顔を返した。彼は吉澤と同じ隊から野辺山へ派遣されてきた三等飛行兵だ。名を村上という。
 海軍飛行予科練習生、通称『予科練』は簡単に言ってしまえば、パイロットを育成するための機関である。海軍でありながら海から遠く離れた土地へ基地を構えたのは、ここがグライダー訓練にうってつけなのと、空襲の心配がない辺境の地であることが理由だ。現に四日前のラジオ放送で終戦を告げられるまで、吉澤らは過酷な訓練に励んできた。しかし戦争が終わった今、使用していたグライダーは全て焼却処分、帰郷を命じられるまですることがなくなった。今やアメリカ軍ではなく、退屈が彼らの_最大の敵となっていた。なにせ皆若さ溢れる年頃、しかも全ての行動が駆け足で始まる海軍精神を叩き込まれている。疲労より退屈の方が耐え難い。
 周りはといえば、人間より獣の方が多そうな辺境の地、娯楽施設などない。この腕時計のガラス作りは元々村上が考えたもので、効果的な暇つぶし作戦として流行している。しかし時計もガラスも数に限りがあるので、一品仕上げてしまった村上は次の作戦に移ろうとしていた。
「俺と有島で、花見に行こうと思うんだ。お前もどうだ」
「花見だぁ?」
 突拍子もない提案に、吉澤は思わず聞き返した。何気なく引っ掻いて潰してしまったニキビをさすりつつ、怪訝そうに友人の顔を見る。この冗談好きで陽気な男は厳しい訓練の合間に、その明るさでよく仲間を励ましてくれたものだ。だが八月に花見というのはあまりにも頓狂だ。
「今は真夏じゃないか。そもそも野辺山に桜の木なんてほとんど無いぞ」
「桜だけが花じゃないさ。例えばほら、五月ころだったかな。滑空訓練のとき、空から花の咲いてる木が見えたろ」
「ヤマナシのことか。あれも今は咲いてないぜ」
 ブドウ園の息子に生まれたこともあってか、吉澤はそれなりに植物の知識がある。ナシの野生種であるヤマナシは野辺山に多数生えており、白い花を咲かせる。ソメイヨシノほど壮観ではないが、なかなかに美しい花だ。しかし開花時期は春で、実が成るのは秋とくれば、真夏にはあまり価値がない。だが村上はそんなことお構いなし、というかのような笑みを浮かべた。
「そこはな、キでキを養うんだ」
 木を養う……何らかの方法で木に活力を与え、季節外れの花を咲かせる。そんな発想が脳裏に浮かんだが、すぐに投げ捨てた。海軍に花咲じいさんはいない。

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