小説

『空の銛』清水その字(ハーマン・メルヴィル『白鯨』)

「すれ違う瞬間に撃って、振り返ったら敵のエンジンに火がついてた。でも、トドメは刺せなかった」
 アキエさんは残念そうに、ぐでーっと机に這いつくばった。夢の話を聞くようになってから、いつもこの調子だ。
 白鯨に挑もうとするエイハブ船長のように、アキエさんも夢の中で巨大な敵機に挑んでいる。話を聞く限り、夢にしてはあまりにも鮮明なようだ。操縦の仕方を説明する仕草にも、本物に乗ったことがあるかのようなリアリティが感じられた。ただ敵機を追いかけても、なかなか撃ち落とせないでいるようだ。昨日は空中戦どころか、エンジンが故障して離陸すらできなかったと嘆いていた。
「どうしてそんなに落としたいんだよ」
「私の曾おじいちゃんがね、秋水の開発に関わっていたらしいの」
 微笑と共に返された答えに、思わず目を見開いた。秋水……夢の中で彼女が乗っている戦闘機。戦争末期の日本で切り札として開発されていた機体で、ロケットエンジンで飛ぶ。高高度で来襲するBー29爆撃機を迎え撃つため、技術者たちの狂気じみた努力で作られたという。それこそ、エイハブ船長のような執念で。
「その話を聞いてから、夢を見るようになったんだ。操縦席に乗ると、自然と体が動いて……」
 彼女の言葉を遮り、昼休み終了の予鈴が鳴り響いた。軽快な音楽に促され、他の生徒たちはそそくさと退散していく。アキエさんも本を手に立ち上がり、もう一度僕に微笑を向ける。
「……自然と、あの鯨を追いかけている」
 読み途中の『白鯨』を大事そうに抱え、アキエさんは背を向ける。僕はその本の結末を知っていたが、言うことができなかった。

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