小説

『空の銛』清水その字(ハーマン・メルヴィル『白鯨』)

 午後の授業を終えて放課後、学校前の喫茶店へ足を運ぶ。いつものように持参したタンブラーにコーヒーを入れてもらい、すぐ学校へ取って返した。図書室で課題を片付けながら飲むのだ。当然図書室は飲食禁止だが、鞄に入れて持ち込み、隠れて飲めばいい。友人たちからは「素直に家で飲め」と言われるが、図書室の方が集中して宿題ができる。それにこっそりチビチビ飲むコーヒーがまた美味いのだ。
 図書室へ入るとやはりアキエさんがいた。今度はまだ起きており、隣に座る僕に微笑を向ける。読んでいるのは相変わらず『白鯨』だった。
「どこまで読んだ?」
「もうすぐ最後の戦い」
 そう答え、彼女は本に目を戻した。一方僕は数学の参考書とノートを机上に広げる。今日の課題は少々面倒くさかった。今日は体育もあったため尚更眠くなる。そのたびに周囲を警戒しながらタンブラーを取り出し、こそこそとコーヒーを飲む。
 そうやってカフェインの力を借り、何とか最後までやりきった。達成感を感じながらタンブラーに口をつけても、もう目が冴えることはなかった。僕の場合、起きていなければならないという思いがあるからコーヒーが眠気覚ましになるのだ。隣からスースーと寝息が聞こえた途端、僕も彼女と同じように机に突っ伏した。

 周りから時々、小声での会話が聞こえる。アキエさんの寝息も。こういう風に居眠りするのもたまにはいい。僕の呼吸はいつしか、彼女の寝息と合わさっていく。吸って、吐いて。繰り返すリズムが自然と重なった。なんだか良い気分だ。

 ふと、吸い込んだ空気に妙な臭いを感じた。機械の臭い。_金属と油の混ざった臭いだ。
 目の前に時計があった。針が一本しかない物がいくつも並んでいる。日差しを感じた。周りがガラス張りになっている。狭苦しい空間に閉じ込められていた。並んでいるのが時計ではなくメーターであることに気づき、はっと周囲を見回した。メーターやレバーに囲われた中、僕は椅子に座っていた。というより、ここに詰め込まれているような閉塞感だった。脚の間からは操縦桿が伸びている。

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