小説

『空の銛』清水その字(ハーマン・メルヴィル『白鯨』)

 昼休みの読書中、肩越しに女の子の顔が「にゅっ」と生えてきたとき、どう対処するのが正しいだろう。
 僕はとりあえず、読んでいた本をパタリと閉じた。決していかがわしい本ではないし、そもそも大学の図書室で堂々とそんな物を読む奴はいない。図書室の本のためビニールで覆われた表紙には『日本の戦闘機』というタイトル、そして零戦の写真が載っている。明らかに女の子受けする本ではないが、その女子はくりくりとした目で表紙をじっと見ていた。その視線が、ゆっくりと僕へ向く。何で閉じちゃうのよ、と言わんばかりに。
「なに?」
 極めて常識的な質問をしつつ、心の中で勘弁してくれと呟いた。その女子は丸顔の可愛い子で、話しかけられて悪い気はしない。ただこういう本を読んでいると過激な人間だと誤解されるのが嫌だった。飛行機好きを戦争好きと勘違いする連中にはもうウンザリだ。苛立ちは多分顔に出てしまっている。それを面白がるかのように、彼女はいたずらっぽく笑った。
「今のページ、見せてよ。ねぇ」
 菓子でもねだるような口調。駄目だと答えてやろうか、一瞬だけ迷った。それでもページの合間に挟んだ指で、元どおり本を開いてやる。戦闘機のモノクロ写真が大きく載っていた。表紙の零戦などとは大きく違う、変わった形の飛行機だ。ずんぐりとした胴体だが機首は流線型でとがっており、プロペラがない。三角に近い形の翼も、プロペラ機とは異なっている。
 『局地戦闘機 秋水』と書かれた写真をじっと見つめ、文字を目で追いながら、彼女は再び口を開いた。
「私、これに乗ってるの」

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