小説

『歌えメロス』ノリ・ケンゾウ(『走れメロス』)

 こうしてセリヌンティウスは、M屋のアルバイトの雇用契約書にサインをした。あとは、判子を押すのみである。判は既にバイトリーダーの手にあった。メロスが三日後の日の出までに店にやって来なければ、セリヌンティウスは正式にM屋のアルバイトとして、はれて社会復帰を果たすことにもなるのだが、メロスは自分の正義のためにそれを許さない。必ずや、この店に戻ってくる。メロスはそう誓って、セリヌンティウスと抱き合った。友と友の間はそれで良かった。メロスはすぐにオフィスへと向かって出発した。昼休みの終わる五分前、快晴であった。

 メロスはオフィスに着くとすぐに、辞表を書いた。それを部長に手渡し、
「一身上の都合で、辞職させて頂きます。理由は訊かず、受け取って頂けませんか」
 部長はメロスの突然の申し出に、目を丸くして驚き、
「メロス君、それは大変困る。上半期を終え会社の業績は横ばい、この下期が我々に取って勝負の時期なんだ。どうしても君の力がいる。どうか今一度、考え直してくれないか」
 そう言って、メロスを引き留めようとする。
「いいえ、できません。救いたい人がいるのです。私の愛する店と、誓いを立てた親友を」
 メロスは真っ直ぐな目で部長を見、言った。メロスの覚悟を受け部長は、ふうと息を大きく吐き残念そうにはしているが、
「優秀なメロス君だ、何か深い考えがあってのことなのだろう。君の好きにしたらいい。ただ一つだけ。仕事の引き継ぎや得意先への挨拶回りは、きちんと済ましてもらうよ」
「ええ、勿論。そのために、退職は三日後の金曜日付けにしておきました」
 部長は、辞表をパラパラと開き、その旨を確認すると、「さすがメロス君。察しがいい」と言ってメロスと顔を見合わせ、笑った。

「おーい、みんな。少し集まってくれ。大事な話がある」
 部長の号令に、営業部の社員が部長のデスク回りに集まる。

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