小説

『歌えメロス』ノリ・ケンゾウ(『走れメロス』)

 メロスの部下で、入社三年目の鈴木である。入社と同時にメロスの元に付き、指導を受けてきた。
「お前はもう十分一人前になった。明日からは私の得意先を引き継ぎ、いずれは後輩を指導する立場になる。期待しているぞ、鈴木」
 メロスの言葉に鈴木は歓喜。メロスの手を掴みぶんぶんと振り回し、
「メロスさん!今日は帰しませんよ。朝まで付き合ってもらいますから!」と勝手に盛り上がる鈴木。
「ははは。すまんが鈴木、私には大事な約束があるのだ。あと一曲、自分が歌う番を終えたら、ここを出て行くよ」
「ええ!どうしてですかメロスさん。主役が帰るなんて。そんなの許しませんよ」と納得が行かない鈴木。
「気持ちは嬉しいが、大事な約束なのだ。友が私を信じて待っているんだ」
「分かりましたメロスさん、じゃあカラオケで八十点以上出したら帰ってもいいですよ」
「分かった。八十点だな。出してやろう」
「はい。約束ですよ」
「ああ、男に二言はない」
 鈴木の提案は、メロスを本気で引き留めたい訳ではなく、ただ自分がメロスとの別れを惜しんでいることを伝えるための駄々とも言えるものであり、当然メロスもその鈴木の思惑を理解した上でその提案を承知したのであった。何しろ、カラオケの採点で八十点以上というのはそう難しいものでなく、ある程度の歌の上手さであれば容易に取れる得点なわけで、つまりこの時点では、鈴木もメロスも、メロスが一曲かそこら歌った段階で帰れるものと思っていた。その考えが、大きな間違いであった。
 メロスは何度歌えども、七十点台を連発するだけで一向に八十点以上を出せなかったのである。その様子に、事の発端である鈴木も心配し始め、「メロスさん、大丈夫ですか? もし大事な予定があるならもう帰ったっていいですからね」と気遣う始末。けれどもメロスは「いや、男に二言はない。俺は必ず八十点以上出すぞ」と言って聞かないので、鈴木も段々と呆れ顔に。

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